Pulse D-2

はら、はら、はら

「何だ、相談って?」
 飲み物を運んでくる輝一を、輝二はベッドの端に腰を下ろして待つ。ようやく見慣れた輝一の部屋は、いつもの通り小奇麗に整頓されている。
「うん――」
 尋ねる輝二も応じる輝一も、まだ中学の制服のままだ。もうすぐ冬服への衣更えのためか、輝一の制服の上着が室内に掛けられていた。
「はい」
 輝一がコーヒーカップを差し出す。受け取る輝二の視線を受けて、どこか緊張したように彼は目を逸らす。そうして勉強用の椅子に腰掛けると、輝二になかば背を向けるようにして机に肘をついた。
 気にしない輝二は、もうインスタントコーヒーだけに気持ちを向けている。
 白い湯気の散っていく様子と、香ばしい香りに満足気だ。
「実はね」
 輝一が口を開いたのは、輝二がそれを飲み干そうとした時だった。
「恋愛相談」
「はぁ? 相談する相手を間違ってるだろ、お前」
 眉間に微かに皺を寄せて、輝二は声の主を見遣る。弟へと向き直した輝一は、そうかなぁ、ととぼけてみせた。
「しかもこんな時期に。余裕だな」
「まあねー。そういう輝二だって、必死に受験勉強してますって感じには見えないよ」
「俺はまじめにやってる」
「まじめなのと必死なのとは違うって」
 得意の柔和な笑みで言ってのける兄に、輝二はフンッとだけ答えてカップを空にした。
 高校受験まであと数か月。別に二人が特別優秀なわけではない。無理なく入れそうな高校を選んでいるだけだ。
「ま、そういう話ならもっと経験豊富な奴にでもするんだな。俺、帰るから」
 輝一の目の前の机の上にカップを置き、輝二はそう言う。だが、足元の鞄に手を伸ばしたところで、輝一に思い切り肩を押し戻された。
「だ、め! ほんっとに冷たいよね、輝二って」
 なんだよそんなの今更だろうと思う間に、ベッドの上に押し倒される。自分の両肩を押さえてむくれている兄を、仕方なさそうに輝二は見上げた。どっかと腿の上に乗っかられ、重たいなぁと考える。
「単刀直入に言うとね」
 輝一が言葉を続けた。
「輝二のこと、好きなんだ」
「…誰が?」
「俺」
「……俺って?」
「だから、オ・レ」
 自分を指差して、もう一度肩に手を戻す。
「俺が、輝二のこと、好きなの」
 輝二は輝一を見上げたまま、唇をぐっと結ぶ。そして難しそうな顔をして、右下、左下、と順に視線を落としてから、最後に輝一へと戻して大きくため息をついた。
「何そのリアクションッ」
 キーッ! と甲高く悔しそうな叫びを発しそうな表情で、輝一はぐしゃぐしゃと輝二の髪を掻き回す。教師に指導されて切ったばかりの髪が、可哀想なくらいに乱された。
「やめろって…」
 一応自分の髪をなでつけながら輝二は言う。
「まじめな話かと思ったのに」
「目一杯まじめだって!」
「何言ってるんだ、急に」
「急じゃないよ」
 ずっと好きだったもん、と当たり前のように輝一は言う。いやそれはもっと問題じゃないかと輝二は思う。
「今までだって何度も言ってるじゃん。だけど輝二ちっとも本気にしてくれないから、すごく悩んだんだよ、俺だって」
 お前には悩むという言葉が全く似合わない、とはさすがに輝二も口にしない。かわりに『相談があるんだ』なんて言葉を真に受けた自分を密かに呪った。
「我慢して我慢して我慢して、もうほんっとに何年も我慢してきて、その結果がこれなの」
 ああ、もっとロマンチックに告白したかったのに、と輝一はぼやく。冗談じゃない、というのが輝二の意見だ。
「それで?」
 もういいからとにかく話を進めようと、輝二は低く尋ねる。
「伝えたかっただけです、なんてことはないんだろ?」
 そんなかわいい奴じゃないことくらい、輝二だって知ってる。本人の言う通り我慢に我慢を重ねた結果なら尚更だ。
「どうしたいんだ?」
 ため息交じりに兄を見上げる。輝一も決意に満ちた目で弟を見下ろしていた。
「輝二を抱きたい」
「断る」
 即答。
「もうーっ、憎ったらしいこのくちっ、この口っ、このクチッ」
 途端に両手で輝二の頬を引っ張る。イテテ、と輝二は声を上げたが、それ以上の抗議の前に輝一は手を離し、ひどいことを口走った。
「減るもんじゃなし」
「ふざけるなよ」
「ごめんなさい」
 そして逆に頬をつねり返されると、素直に謝って許しを乞うた。
 左の頬を摩りながら、いったん輝一は姿勢を起こす。少しだけ距離のできた相手に対し、輝二は不機嫌そうに意見する。
「少しは考えろよ。お前はずっと俺をそういう風に見てきたのかもしれないが、俺はたった今お前に言われて初めてこの現実に直面したんだぞ。こっちの身にもなってみろ」
 輝一はしおらしく俯いた。
「うん、そうだね。ごめん。…でも輝二も悪いよ。真剣な告白なのに」
 小さく唇を噛み、輝一は輝二から目を逸らす。横向いた顔が泣き出しそうで、輝二も少し、しまったな、と思う。それで何かうまい言葉はないかと考えてみたが、結局何も見つけられずに黙り込んだ。
「重い」
 だいぶ経ってからようやく言ったのはそんなセリフで、言われた輝一はしぶしぶと輝二の上から退いていく。
 そうしながらまた何か決意したらしい。輝二の方を向いてベッドの上に座ると、軽く膝を抱え込んで控え目な様子で口にした。
「じゃあさ…お願い」
 体を起こしながら輝二は聞いている。
「キスさせて」
 そうして言われた言葉に眉根を寄せた。
「嫌ならもう一生しないから。これっきりにするから。だから今だけ、キスさせて。それでもし、もし万が一それが嫌じゃなかったら続きもさせ…わあっ怒らないでって」
 輝二が拳を振り上げるのを見て、輝一は待ったと両手をあげる。
「何でそんなに嫌なのさー」
「何でそんなにしたいんだ!」
 ちっとも反省してないじゃないかと、輝二の方は完全に怒り顔だ。固く握り締めた右手を必死に押さえる。その一方でちらりと、他の奴が相手だったらここで既に二、三発殴ってるなと思った。
「んー…何でかなぁ――」
 だが輝一は、自分でも困ったように言ってころりと横になる。そしてそのまま輝二の膝を枕に気弱な笑みを浮かべると、伏せた顔を自分の右腕で覆った。
 表情を隠す兄を、輝二は無言のまま見下ろす。立てた右膝に肘をつくと、右手で自分の前髪を掻き上げながら、左手を輝一へと伸ばした。少しだけ自分のものより細くて柔かい髪に、指先で一度静かに触れる。
「そりゃあさぁ、好きだからなんだけどさ、そう言ったら輝二は『じゃあ何で好きなんだ?』って聞くでしょ?」
 ゆっくりと輝一が話す。聞くだろうなと輝二も思う。
「でもね、その質問には答えようがないんだよ」
 輝一が顔を上げる。
「気がついたらこういう風に好きだったんだもん」
 嘘でも冗談でもないのだと、輝一の目が告げていた。飄々とした態度の多い兄の見せる、数少ない懸命な姿がそこにあった。
 懇願だな、と輝二は思う。
 なるほど、この表情は見たことがあるかもしれない。例えば自分が他の誰かに心を向ける時、例えば自分が兄の援助の手を拒んだ時、例えば自分が別れを告げて兄に背を向けるその瞬間。確かに輝一はこんな風に自分を見ていた筈だ。悲しげに、淋しげに、そしてとても切なげに。
「女みたいなこと言うな」
 それでも輝二は静かに返す。兄の想いはわかったけれど、だからこそ尚更に、その場しのぎに応えることはできないと思った。
「関係ないよぅ。輝二、それ、偏見だって」
「…かもな」
 短い答えに輝一が小さく笑む。目の前に落ちていた輝二の左手をとり、その指先に軽く唇で触れる。
「いたっ…」
 すぐに輝二に頭を引っぱたかれたが、手だけは離さずに輝一は笑った。
『兄さん…兄さん…』
 輝二の心の中で、何故だかその呼び掛けがこだまする。ずっとそう呼んでいたいのだと、微かな痛みが胸をかすめる。
 それでも、くしゃくしゃと輝一の髪を掻き回し、同じ顔で、輝二も笑った。

更新日:2002.09.30


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