Pulse D-2

その指先を忘れない

 デジタルワールドでも炎はあったかいんだな。
 今まで当たり前と思っていたことにふいに不思議な感じを持ち、つい考えてしまってから輝二は小さく苦笑した。
 熱くなくてどうする、明るくなくてどうする。もし性質が違ったりしたら、そもそも火って何なんだ? ということになるじゃないか。
 心の中でそんなことを言いつつすぐそばの明かりをぼんやり見つめていると、パチッという音と共に炎がはぜた。
 焚き火の炎には、どこか懐かしさと寂しさを感じる。それは、この世界へ来て拓也たちと行動を共にするようになり、初めて野営の火を囲んだ夜に浮かんだ気持ちだった。けれどそのイメージは曖昧で、何を懐かしんでいるのか、何故寂しくなるのか、輝二自身もずっと分からずにいた。
 ようやく気づいたのは、つい最近――兄の輝一とまた一緒にいるようになってからだった。
「くしゅっ」
 小さなくしゃみに目を上げる。隣で泉が軽く鼻をすすっていた。
「寒いか?」
「ううん、平気へいき」
 泉は笑って薄手の毛布を肩からかけ直す。彼らが使うにはそれは小さ過ぎ、全身を包むのは難しかったけれど、思い切り手足を縮めて背を丸め、泉は何とかその中に収まっていた。
 そんな彼女から、輝二はさらに上へと視線を向ける。薄く雲のかかる空の中、それでも光を投げかける三つの月が、大きく傾いて時間の経過を知らせていた。
「交替の時間、過ぎてたな」
 言われて泉も月を振り返る。
「あ、ほんと」
「悪かったな、気がつかなくて」
 ううん、と首を振り、泉は、焚き火からは少し離れた場所で眠っている仲間たちを一度見遣った。
「輝一と替わればいいのよね?」
 野営の間は火の番を兼ねて、二人一組になるよう順番に交替しながら、夜間の見張りをすることになっている。今夜は輝一と輝二が、最後のコンビになる予定だった。
 泉の問いに輝二は頷いたが、すぐには立ち上がろうとしない泉に軽く首を傾げる。それをやや覗き込むような感じで、
「ねえ?」
 と泉は声をかけた。
「何だ」
「双子ってさ、どんな感じ?」
 あっけらかんとした問いかけに、輝二は一瞬、頭の中が空っぽになる。
「どうって…別に」
 どんな感じと言われても、どういう意味なんだそれは、と聞き返したくなる。双子ではない兄弟というものを知らないのだから、他との違いなんてわからないのだ。
 ただ、例えば拓也の言うような兄弟との接し方なんて考えたこともなかったし、友樹に対する兄的態度が、輝一との関係に重ならないこともはっきりわかる。そして兄弟仲なら、たぶん、悪くないと思う。
「ふうん…」
 結局何も答えない輝二に、泉は少し何かを考える素振りを見せたが、すぐに、
「ま、いっか」
 と一人でケリをつけてにこりと笑った。
「よかったわね、仲間になれて」
 自分の方こそ嬉しそうだと、彼女を見ながら輝二は思う。
「ああ…」
 そして、照れ臭そうな笑顔を見せた。
 輝一を起こしに行く泉の背を、輝二は見るともなく見つめていたが、やがて、その間に割って入る炎に、記憶の中の別の炎を重ねた。
 それは数年前――小学2年の時だと思う――の夏に見たものだ。両親と輝一と、それから父の同僚とその家族。そんな構成で一泊二日のキャンプをしたことがあった。共働きで普段はちっとも自分たちを構ってくれない両親が一日じゅうそばにいてくれるというので、輝一も輝二も嬉しくて嬉しくて、何日も前からその日のことを口にし合った。
 当日は快晴。山の中のキャンプ場。鮮やかな木々の緑と近くを流れる小川の水の冷たさが、昼の光の中、輝二を明るく開放的な気分で満たす。
 はしゃぎ回って大笑いして仲良く遊ぶ子供たちを、にこやかに呼び寄せる大人たち。その声が、その笑顔が、その優しい腕が、胸の奥深くへ押しやられたのはいつのことだろう…
「おはよ」
「…という時間でもないけどな」
 まだ眠たそうに歩いてきた輝一が、輝二にくっつきそうなくらい近くへと座り込む。その、一応の起き抜けの挨拶に、輝二は冷たく言葉を返す。すると即座に頭突きが降ってきた。
「…んだってっ」
 痛いだろうがと輝二が短く抗議する。たいした強さではなかったが、輝二としては突然のことでかなりびっくりしたというのが本音だ。対する輝一は、愉快そうに肩を揺らして笑っていた。
「スキンシップ」
「いらねぇよ」
 言いながら輝二は兄から離れるよう、少しだけ横に移動する。
「照れるなって」
「照れてない」
 ぶっきらぼうに答える弟を、柔和な笑みを浮かべたまま輝一は見遣る。立てた膝の上に両腕を置き、そこに片頬をつけて、つんと上向く輝二の横顔を嬉しそうに見上げる。
 輝二がちらりと見ると彼の目はますます楽しそうに細められたが、特に何を言うでもなく、やがて下を向く動きに合わせて、その表情は自身のかぶる帽子のツバに隠された。それはどこか気になる仕種だったが、輝二は追求せずに焚き火へと目を戻した。
 あの時も、黙って火のそばにいたんだっけ。
 ついさっきまで考えていたキャンプのことを、再び輝二は思い返す。
 陰りを見せ始める景色の中、キャンプ場に動く人の輪は自然と小さく固まっていき、夕食を終えた後にはにぎやかな場所と静かな囁きの漂う場所とに、はっきり区分されていた。
 昼間の大あばれで体はくったりと疲れているのに、気持ちばかりがたかぶって眠れない。そんな状態で輝一と輝二も、大人たちの話し声を聞き流しながら火を囲む。
 赤く暗く輝く炭火と、時折現れてはすぐまた消える朱色の炎。その煌めきは興味深くもあったけれど同時にひどく儚くて、目を凝らし過ぎるとあっと言う間に消えていく炎の中に引き込まれてしまいそうな気がした。
 そんな中、ふっと会話の途切れた瞬間、ひときわ強く風が吹き抜け、鬱蒼と生い茂る木の葉が重く深い闇を辺りに投げかけた。
 こわい。
 咄嗟に、輝二は思う。
 馴染んだ色も音もいっぺんに失せて、一人きり、知らない場所に取り残された心持ちがする。それでいて、足元からも背後からももちろん頭上の葉陰からも、無数の見えない腕が伸びてきて自分を連れ去るのではないかというような、強迫めいた感情に捕えられた。
 ほんの一瞬だったはずだ。
 けれど、これがずっとつづいたらどうしよう、と周囲の木々を見上げて彼は怯える。そうして、無意識に腕を伸ばしていたのだろう。ふいに触れるものがあって、びくりと全身を揺らした。
『あ…』
 手のひらに掛かっているのは、輝一の指先だった。
 ぐっと唇を引き結び、必死に目を見開いて空を仰ぐ兄。暗さにも怖さにも負けまいとする、懸命な姿を輝二は見る。
 なのに、本心を表す小さな手。震える指に、輝二はほっと息をつく。
 ぎゅっと手を握り返す。
 そこで初めて気づいたらしい輝一が、輝二へと視線を下ろしてきた。びっくり顔で何度か瞬く。そして、ニコッと笑った。
 繋ぐ互いの手はか細く心細げだったが、込められた力は強く、あたたかな体温を伝え合う。
 信じられる手だ。
 今ならそんな言葉で表わせるだろう。
 あの時心に浮かんだのは、多分、こういう気持ちだったのだと思う。
 幼い笑顔を思い出しながら、今となりにいる輝一へと目を向けると、それに合わせたかのように低く彼の声がした。
「なんかさぁ、ちょっと意外だったんだ」
「何が?」
「輝二、変わったなって思って」
 顔を上げないまま、輝一は言って少しの間を取った。何のことかと、輝二は僅かに首を傾げて待っている。
「彼女できてるし」
 …は? 何だ? もしかして泉のことか? 違うぞ、そんなんじゃないぞ。
「親友みたいだし」
 …っと…まさかとは思うが、拓也、か? 喧嘩してるのが目に入らないのか?
「大きいのも小さいのもいるし」
 …純平と友樹だな。相変わらず、何の含みもなくこういう言い方をするんだな、こいつは。
「俺なんかもういらないみたいでさ――」
 呟いて更にうつむく輝一を、輝二は横で無言のまま見つめる。
 また小さく火がはぜて、薪がカラリと崩れた。
「――違うって言ってくれない?」
 輝一が上目遣いに見て小さく口をとがらせる。それでも何も言わない相手に彼がはっきり情けない表情を浮かべると、輝二はがくりと肩を落とし深くため息をついてからぼそりと口にした。
「…あきれてた」
「ええっ!? 何で何で、俺何かへんなこと言った?」
 途端ににじり寄って腕に絡みつく兄に、輝二はやれやれとそっぽを向く。
「大声出すな」
「ごめん。…だってさ――」
 輝一が声を低く抑える。むくれた表情はよく見慣れたものだ。そんな彼があまりにも普通に話すので、輝二の方ではここがどこなのか忘れそうになる。
「輝二さ、友達つくるの下手だったろ。学校変わってから、いっつも一人でいたじゃん。知ってんだ、俺」
 何で知ってんだよお前。
 言いそうになるのを、輝二はぐっとこらえる。わざわざばらす必要はない。
 だが顔に出たのだろう。輝一は微かに笑い、もう一度体を付けるように座り直した。両ひざを抱え込んで、その腕に顔を半分埋める。
「でもさ、すごく…仲いいし…笑ったり、してるし…」
 ぼそぼそと輝一が告げる。
「いいことなんだけどさ、多分」
 言葉とは裏腹に、輝一は完全に顔を伏せる。腕と帽子の中にすっぽりとおさまって、輝二からは一切、表情を窺い知ることができなくなった。
 そこに隠された言葉と心は、自分の中にあるものと同じだろうかと輝二は考える。せめて、似ていればいい、と思う。
「変わってないって」
 炎の明かりに照らされる輝一に、輝二はひどくゆっくりと話す。
 作ろうとして作った友達じゃない。なりゆきでなった仲間だ。それに……
「お前が忘れてるだけだ」
 そうして、自分の膝近くに投げ出されている輝一の指先に、右手を伸ばした。
 自分は別に友達を作れなかったわけじゃない。一人でいるのが好きだったわけでもない。
 ただ、いつでも一緒にいた輝一がいなくなって、どうしても落ち着かない気分になってしまう自分に気づいただけなんだ。誰に接する時も、必ずその間に輝一を挟んでいた自分に、嫌気がさしただけなのだ。
 両親が離婚して、一人ずつ親に付いて行って、二人とも引っ越して、二人とも転校して。
 全く会わないわけじゃなかったけれど、会わない時間の方が圧倒的に多くなった。その中で、輝一のいないことへの違和感が、体の一部であるかのようにつきまとって、現実をどこかぼんやりさせていた。
 自然と、クラスメートたちは遠巻きになる。自分も彼らに対してよそよそしくなる。そうしながら同時に、多分、輝一以上の誰かを自分の中に作ることを、恐れていたのだと思う。離れているから、遠い存在になっていくから、その隙間が他の誰かで埋まってしまいそうで嫌だったのだ。
 だって、唯一の、頼れる手だったんだ。
 それさえあればどんな時でも安心できる、そんな存在だったんだ。
 他に代わられてしまうくらいなら、いっそのこと何もない方が気持ちいい。だから他人のことは気にしなかった。自分自身が強くなれることだけを願った。他の誰かに頼らなくてもいいように。一人でも、平気なように。
 だけど、今はもう違う。そんな風に意地を張らなくてもいい。そんなことを恐れなくてもいい。
 変わったんじゃない、戻ったんだ。
 輝一といた頃みたいに、安心して他人を受け入れられるように。
 別に無理に保とうとしなくても、こんなにしっかりと輝一は自分の中にいたのだと、彼を目の前にしてはっきりとわかったから。
 触れる輝二の手に、輝一がぱっと顔を上げる。
「何を?」
 何を忘れているのかと短く尋ね、引こうとする手をぐっと掴む。
「昔のこと」
「昔って?」
 いつの昔? と首を傾げる。そんなに長い人生じゃないけどと輝一は軽口のように続けたが、輝二は一瞥しただけで沈黙を貫く。さわさわと風の音だけが流れていく。
 やがて、弟の肩に顎を乗せて、兄が情けない声を出した。
「…わかんないんだけど」
 その声を聞きながら輝二は肩を揺する。
「――ならいい」
「ええーっ!」
「うるさい」
 耳元での大声に、思い切り顔をしかめて輝二は冷たく返す。
「何だよー。輝二のけーちけーちけーちけーち」
「ああもう、うるさいっ」
 思わず怒鳴る。火の向こうで、拓也のものらしい寝ぼけた声がした。
「シーッ」
 口に人差し指を当てて、輝一がいたずらっぽく言う。
 それに、チッ、と小さく舌打ちして、輝二は空いた腕で輝一の頭を軽く叩く。気にしたふうもなく、輝一は満面の笑みを浮かべた。
「ははっ。輝二ぃ…」
 そうして強く抱きつく輝一を、もう振り払うことなく輝二はいつまでも受け止めていた。

更新日:2002.09.23 ([双子祭り]への投稿作品でした)
こ…こんな、設定も展開もはっきりしないうちからパロディ書くなんて、私いままでやったことないんじゃ…と思うと、はらはらどきどき(笑)。でも、だからこそ好き勝手に夢見ることのできる部分もあるんですね。とっても楽しかったです。
我ながら、夢見がちすぎ~(^_^;)。そして締めが甘いですか? すみません。
本当はもっとはっちゃけた(笑)双子を書いてみたいんですが、まあ、まずは肩慣らしに書き慣れているタイプの作品を、ということでこんなんになりました。
ど、どうでしょう…?(ほんとにドキドキ/笑)


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