Pulse D-2

両手の中のスピリット

 吸い込まれるデジコード、表示される闇のスピリット。その瞬間だけちらりと自分のデジバイスに目を向け、またすぐに輝二は視線を戻す。空中を落下していく小さな姿にあっと思うが、駆け寄ろうとするより早く進化が解けて輝二自身が荒い息を吐いた。
 漸く倒せたダスクモン、とても恐ろしかったベルグモン。だがその中に見た少年の姿は、自分とよく似た顔かたち。『木村輝一』と名乗った彼とどう向き合えばいいのか判断しかねたまま、輝二は彼のもとへと足を向けた。
 度重なる戦いのせいで体じゅうが痛む。ついさっきダスクモンから受けた攻撃も、まだ輝二の中には深い苦痛を残している。そしてまた、彼の話した自分たちの関係は、輝二の心に混乱を生じさせている。
 兄弟なんていないと思って生きてきたのに。
 母さんは死んだのだと聞かされてきたのに。
 どうして今になって、しかもこんな形で、それらが嘘だと知らされなくちゃいけないんだ?
 苛立ち迷う内側とは裏腹に、表面上、彼は一心にまっすぐに輝一へと近づいて行く。
 聞きたい、彼の話を。知りたい、彼のことを。
 そんな気持ちも少なからず存在しているようだった。
 散在する岩のあいだ、伏した体を輝二は見つける。片膝をついて恐る恐る伸ばした手は、だが、思いがけない速さで動いた輝一の手に弾かれた。
「触るなっ」
 硬い声が拒絶の言葉を告げる。
 けれど輝二は怯まない。輝一の肩に手をかけ、再び払い除けられてもまだ兄との距離を縮める。
 そして、はっと輝一が息をのんだ。立ち上がった自分の身体に回された弟の両腕に、驚いて身を竦めた拍子に小さく噎せる。輝二は僅かに腕の力を緩めたものの、姿勢は変えることなく輝一の息がおさまるのを待った。
「…追ってきてくれたんだろう? 会いにきてくれたんだろう?」
 兄の背中に輝二は問いかける。しかし輝一は首を振る。小さく三度、それから大きく二回。
「違うのか…?」
 少しの落胆を込めて再び問う。輝一の答えまでには短くない間があり、輝二の中の緊張と息苦しさを膨らませていく。そして聞こえた言葉に、彼は胸を詰まらせた。
「…憎かったんだ、君の、ことが」
 すっと、体温の下がる気がした。抱え込んだ身体も自分の手足も急にずっしりと重く感じられ、輝二は両腕を下ろすと兄を解放する。
「あ…」
 輝一は、ほっとすると同時に彼を傷つけたのだとも悟る。焦って輝二へと目を向けるが、一歩離れたらしい弟は体の向きも少し変えて、更に輝一からは顔を背けていた。
 今度は自分の方が拒絶され、何をどう言えばいいのかわからず輝一も沈黙する。そうして、途方に暮れてその場にぺたりと座り込んだ。
 そんな二人を見るに見かねて、少し離れていた拓也が近づき声を掛ける。
「あー、あのさ、でも、おんなじ電車に乗ってたよな?」
 え? と二人は揃って拓也を振り返った。ダブルで同じ顔に見つめられ、拓也は妙な気分になりながらも彼らに説明する言葉を探す。
「俺、デジタルワールドに来る時、渋谷まで輝二と一緒の電車だったんだ。あっ、偶然、だけど。…んー、でさ、その電車の、たぶん隣の車両に君もいたと思うんだ。あーでも、気がついたのはそん時じゃないんだけど」
 どうにも要領を得ない言い方に自分でもあきれて、拓也は軽くこめかみを掻く。そうして、とりあえず輝二だけでも筋が通ればいいかと考え彼を見遣った。
「ほら、俺一度家に戻ったって言っただろ。あん時さ、もう一回渋谷に向かう電車に乗って、それで隣の車両の様子も見たんだ。で、わっ輝二が二人、って思ったから」
 顔を輝一に向ける。
「それが、君じゃなかったのかなって思うんだけど」
 拓也に向けていた視線を、二人はゆっくりお互いへと移動させる。輝二のどこか縋るような目に、輝一は少し迷ってから小さく頷いた。
「そう…それは多分、俺だよ」
 輝二が兄へと向き直す。
「追ってきた…かもしれない」
 見交わす視線が、どちらも何かを迷ってる。
「でも――」
 輝一が言いながら目を逸らす。
「よくわからない」
 そして顔を伏せ口を閉ざした。
『よくわからない』というその意味が定かじゃない、と輝二は思う。追ってきたつもりかどうかが分からないのか、それともここへ来る道筋のことを言っているのか。
 同じ言葉を聞いても拓也は後者と考えたらしく、黙ったままの輝二の代わりをつとめるかのように口にした。
「トレイルモンに乗ってきたんだろ?」
 輝一はまた首を横に振る。
「覚えてないんだ」
 そうして頭を抱え込む彼は、それでもやがてぽつりぽつりと、彼のずっと伝えたかったこと、輝二の聞きたかったことを話し始めた。
 自分たちが本当に兄弟であること。両親が離婚して自分たちも離れ離れになったこと。母と彼との暮らし。弟がいると聞かされた時のこと。輝二の家を探したことと、それを見つけた時のこと。
 そして一人きり迷い込んだデジタルワールドで、ケルビモンに会い闇のスピリットを与えられたこと。
 彼はもう輝二を憎いとは言わなかったが、憎んでいたこと、妬んでいたことは本当なんだと、それは輝二にもよく分かった。
 ダスクモンでいたことが何よりの証拠だ。
 敵に回っていたことも自分たち五闘士を殺そうとしたことも、もう責めるつもりは全くなかったが、輝一にとって自分が喜ぶべきだけの存在で無かったことは、輝二の心に深く刺さった。
 輝一の話が終わる頃、ふいに拓也のデジバイスが音を発する。別行動だった泉たちが近くまで来たようだ。自分たちが動くからそこで待ってろと、拓也は言って通信を切る。
「行こうぜ」
 皆の居場所を感じるパタモンを先頭に、拓也、ボコモン、ネーモンが歩き出す。
「ほら」
 それをぼんやりと見ながら動こうとしない輝一に、傍らに立った輝二が手を伸ばした。二の腕を掴んで引き上げると、斜めに一瞬だけ兄を見る。
「俺も、行くの…?」
「当たり前だろ」
 また、一瞥しただけで前を向く。そのまま輝二の硬い物言いが続く。
「一人でいたいなら、それでもいいが」
 嘘だ、と自分でも思う。
 ここで別れるなんて冗談じゃない。そう思っているくせに言えない自分が悔しかった。
 輝一は何も答えなかったが、立ち上がり共に歩き出す。それを確認してから、輝二はひとり、僅かに先に立って拓也たちを追った。
 離れていく手をお互いに、どこか寂しく感じていた。


「教えてくれ、闇のスピリット」
 トレイルモンに揺られながら、輝二はデジバイスに語りかける。光、木に加え、輝一の身に付けていた闇のスピリットも今は、輝二の持つデジバイスの中に見えている。
 教えてくれ、ダスクモン。お前は本当に、彼の心の暗い闇に、その妬みや憎しみだけに反応したのか?
 しかしダスクモンが答える筈もなく、深い溜め息をついて輝二はデジバイスを膝の上に下ろした。
 窓外には荒涼とした大地が広がっている。何が出てくるか分からない濃い闇に覆われた森も嫌だったが、生命を感じられないこの荒れた土地にも気が滅入る。天候の変わりやすいそのただ中をひた走るアングラーが、やけに頼もしく感じられた。
 その彼のおかげで、前方に見えるバラの明星はだいぶ近くなった。そこには多分、オファニモンがいる。
「オファニモン…」
 呟いて右手に目を落とす。
 ずっと自分を導き続けてきてくれた、三大天使のうちの一人。デジタルワールドへと誘い、光のスピリットの所在を示し、事あるごとに自分を助けてくれた彼女は、ダスクモンの正体もそこにいる少年と自分とのことも全て知っているようだった。
「俺…どうすれば――」
 だがそこで唇を結び、輝二はデジバイスを両手の中に閉じ込めた。
 いや、そうじゃない、ここからは俺と彼との問題だ。他人に縋るなんて随分らしくないじゃないか。
 決心するよう大きく息を吐く。
 離れた座席で話している仲間たちの視線が集まるのを感じたが、気にせず輝二は立ち上がった。近づく隣の車両には、苦しげに頭を抱えた兄がいる。
『…憎かったんだ、君の、ことが』
 投げられた言葉が甦り再び胸が痛んだけれど、変えようの無い過去を悔やんでも仕方がないのだと言い聞かせて歩き続ける。
 人にどう思われるかなど大して気にしたことはなかったのに、彼には嫌われたくないのだととても強く思った。できることなら、彼だけには。
 でも、と考えながら、客車の端のドアを引き出す。
 嫌われててもいい。憎まれててもいい。今は、巡りあえたことに感謝したい。どんなに酷い出逢いかたでも、知らずに通り過ぎることなく、お互いに目を留めることができて良かった。
 次の客車へ足を踏み入れる。こちら側の扉も閉めてふっと顔を上げた時、二枚のガラス窓をあいだに挟んで、一瞬拓也と目が合った。
 ゆっくりと、振り返る。細く息を吐いて歩き出す。その胸の中にひとつだけ、小さな願いが輝いた。
 いつか、本当に、兄弟になれるように。


 恨まれてるだろうし。その上、嫌われただろうし。
 何度も浮かぶその考えに、輝一は自分でも泣きたい気分になる。
 それぞれに伝説の闘士のスピリットを持つという三人と合流して、彼らの乗ってきたトレイルモンに自分も乗り込んで、そうしてたっぷりと一人きりの時間を与えられると、悔しいことに、自分の中の陰鬱な気持ちはどんどん増してしまった。そんなことを感じるのも悔しいのに、時間が経てばたつほど自己嫌悪は深くなり、悔しさは悲しさへと姿を変えていくのだ。
「何してるんだろう、俺…」
 呟いても返る言葉はなく、自分で返せる答えもない。そこに生じる沈黙がまた悲しくて、シートの背にもたれて輝一は深くうなだれた。
『追ってきてくれたんだろう?』
 そうだよ。君が先に行っちゃったから。俺になんか気づきもしないで。
『会いにきてくれたんだろう?』
 そうだよ。でも会わない方がよかった。こんなことになるくらいなら。
「輝二…」
 いったい何度、自分はこの名を呼んだだろう。木村輝一でいた時も、闇の闘士でいた時も。
 挙げ句に兄弟として顔を合わせたその第一声が『触るな』で『憎かった』だなんて、随分おもしろいじゃないか。
 思うと涙が滲んできた。情けないなと目をこする。
 顔を上げた拍子に、窓の外の風景が目に入った。目指す先はバラの明星の下だという。皆に聞くまで輝一はこの呼び名を知らなかったが、そこで自分たちを待っているものについては知っていることがあった。
「ケルビモン――」
 今度は自分の主だった者の名を呼ぶ。
 行き着いた場所で、自分はまたこのデジモンに会うのだろう。まんまと彼にいいように使われたのだと、今は嫌というほどわかっていた。
 よりにもよって輝二を殺そうとするなんて。
 ケルビモンに操られていたことより、その手下となってこの世界の多くのデジモンを苦しめたことより、会いたがっていた筈の弟をこの手で殺そうとしたことの方が、よりリアルに輝一の意識に迫ってきた。
 そう、スピリットを奪おうとしたんじゃない。輝二の命を奪おうとしたんだ。
 その明らかな違いに今さらながら愕然として、輝一は自分の両手を見下ろした。握り締めていた手を広げると、じりじりと痺れたような感覚が十指に生じて、たまらず即座に握り直す。
「あれ…?」
 どこでそうなってしまったんだろう。いつから彼らを殺すことが目的になっていたんだろう。最初から? 同じことだと思ってた?
「うそ…」
 嘘じゃない。輝二のことも、他のみんなのことも、そういう対象として見ていただろう?
「なんで…?」
 憎んでいたからだろう? 妬んでいたからだろう?
 だって最初から、その思いをかわれて闇のスピリットを与えられたんじゃないか。ダスクモンになって、煩わしいことから解放されて、何の迷いも感慨もなく命じられるままに様々なものを奪い続けてきただろう? 今さら何を否定できるというんだ?
「そうだけど、でも――」
 でも望んでたのは輝二との争いじゃない。もちろん命のやり取りなんて考えもしなかった。
 じゃあ、本当はどうしたかったんだろう。
 輝二と、どんな関係になりたかったんだろう…?
 デジタルワールドへ来る前の自分を、輝一は必死に思い出す。
 弟がいると聞いたあの日、真っ先に湧いたのはどんな思いだったか。知りたくて、会いたくて、彼の家を探し歩いて。そこで目にした大きな家に、元気そうな父の姿に、再婚相手の女性の存在に、何不自由なさそうな弟の様子に、ショックも受けたし嫉妬もしたし怒りだって感じていた。
 そうだよ、本当に憎かったんだ。本当に妬ましかったんだ。本当に悔しくて仕方なかったんだ。だって嫌でも自分と比べてしまう。苦労している母のことを考えてしまう。
 でも、でも――
 それをぶつけたいだけで何度も会いに行ったんじゃない。
「…でも、もう遅い?」
 また絶望的な気分になり、輝一はくしゃくしゃと右手で髪を掻き乱すと、そのまま頭を抱え込んだ。
 揺れるトレイルモンの広い客車。各車両を仕切る扉は全て開かれていて、輝一の乗る車両と輝二たちのいる隣の車両とはすっきり見通せるようになっている。扉が付いているならせめて閉めとけばよかった、と思ったのは離れた場所からの拓也たちの視線に気づいた時だったが、わざわざ立ってそうするのも角が立つ気がしてできずにいた。
 その扉が、不意にガラリと音を立てた。指の間から覗く先に、引き戸を閉ざす輝二が見える。
 さっと目を戻し腕を下ろす。顔を背けて歯を食い縛る。その輝一の耳に、もう一度同じ音が聞こえた。
 来ないで。来ないで輝二。どんな顔すればいいのかわからないんだ。
 思っても近づく足音。感じる視線に、輝一の中の緊張の度合いがさらに増していく。
 だが輝二は、輝一が考えていたほど近くへは寄ってこなかった。横長の座席の同じシートへは腰かけず、乗降口を挟んだ一つ向こうへと座り込んだようだ。
 …話をするには遠くない?
 そうは思ったが、車内は静かだし二人きりだし、顔突き合わせて話すよりはずっといいかと少しほっとした。
「いつ――」
 輝二の声に顔を上げる。向かいのガラスに映る姿を横目で捉えて耳をすます。
「いつ、俺のことを知ったんだ?」
 輝二はまっすぐ前を向いたまま尋ねてきた。ガラスの中ですら互いの視線が合うのを恐れて、輝一は自分の手元に目を戻す。
「春休みの、はじめごろ」
「そうか」
 低い声はそれだけで切れる。こんな話し方がふだんの彼と同じなのか違うのか、輝一にはわからない。この先の会話の展開も読めない。そして、これが自分たちの関係だ、と、ふと思う。何も知らないわからない。
「何度もね、君の家に行ったんだよ」
 それでもせめて言えることを言っておこうと、輝一は無理矢理口を開く。どうせもう十分ひどい関係なんだ、何も怖がることはないんだと自分に言い聞かせる。
「でも、どうやって会えばいいのかわからなかったんだ。会って…何を言えばいいのかも、わからなくて」
 どうしても声を掛けられなかった自分を思い出すと、その時の苛立ちや除けようのない胸のつかえまで甦るようで言葉が続かなかった。
 短い沈黙が訪れる。その間に、今度は軽蔑されたかなと輝一は一人思う。そうしてやけに卑屈になっている自分を感じたが、それすらどうでもいいような気になりながら小さく唇を噛む。
 なのに、聞こえてきたのは静かな謝罪の言葉だった。
「ごめん…何も知らなくて」
 途端に彼に目を向けたい衝動に駆られた。どんな表情で輝二はこれを言うのかそれを知りたいと思ったけれど、目を合わせることへの緊張の方がまだ勝っていて顔を上げられない。
「君のせいじゃない」
 だから緩く首を振るだけにとどめて輝一は言う。
 そう、逆恨みもあったかも。
 それに気づかないわけじゃなかった。輝二が何も知らされていないなら彼を憎むのはおかしいかもしれない。自分が母と二人きりだったように、輝二にも父親と二人きりの時間があった筈だ。それでも自分が彼を憎んだから…
「でも君たちを殺そうとしたのは俺のせい――」
「そんなことないっ」
 言い終えるより早く飛んできた声に、今度こそ輝一もはっと顔を向けた。
「たまたまそうなっただけだ。俺がダスクモンになる可能性だって、きっとあった。暗い気持ちや、家族や友達に対する後ろめたさは俺にだってあった」
「可能性の話じゃないだろうっ。実際に俺はっ」
「いいんだっ! 俺たちはみんな無事だし、もう、違うんだから」
 もうダスクモンでもないし敵でもない。
 まっすぐに見つめて口にする輝二の、少し怒った目と口調。どこかぶっきらぼうなのはきっと元からの彼の話し方なんだと、今度は何となく輝一にもわかった。そして、実際に語られる言葉よりきっとずっと優しい想いが彼の中にはあるのだろうと、奇妙な確信と共に感じた。
「どうして、そんなふうに思えるのさ?」
 傷つけもした、恐れさせもした、輝二に対しては彼の記憶まで探った。今がこうだから過去は許せる? そんなの自分にはわからないと、輝一は顔をしかめて訊く。
「ほかにどう思えって言うんだ?」
 だが返ってきたのはそんな問い掛けだけで、緩いカーブに差しかかったトレイルモンのそれまでとは少し違う揺れ方に、輝二は意識を向けて外を見遣った。急に速度が落ちたようだ。アングラーが何か言っている。
「本当にトレイルモンって奴は…」
 窓から顔を出す輝二が、すぐに同じ車外の後方を振り返る。どうやら拓也も顔を覗かせて、アングラーに声を掛けているらしかった。
 ほどなく小さなホームが見えてくる。そこでトレイルモンは完全に停止し、また独り言を呟き始めた。
「一人でどこかに行くなよ」
 視線をそらして低く告げ、輝二は兄に背を向ける。言い足りない言葉が何なのか、二人はどちらも思い至らず、無言のままに離れていく。
「…っ…うっ…」
 殺してしまわなくてよかった――
 輝二の姿が隣の客車へと完全に消えてから、輝一は両手で顔を覆い声を殺して少しだけ泣いた。


「認める」
 ケルビモンに対峙する輝一の声を、苦しい息の中で輝二は聞いていた。
 突如襲ってきたケルビモンは、その圧倒的な力によって、進化した五闘士をいとも簡単に粉砕した。咄嗟にその攻撃から輝一を庇ったものの、自分自身は技を受けてしまった輝二は地に伏すしかなく、敵の前へと飛び出す輝一を引き止めることも出来なかった。
 元の主人である自分に対し怒りをぶつける輝一に、ケルビモンは『己の中の闇を認めろ』と迫る。そうして再び闇の闘士として自分に仕えろと。
 輝一の答えは、認める、だった。
 その瞬間、輝二には、叫び出さなかった自分が不思議だった。胸がえぐられるようで、頭を激しく横殴りにされたようで、輝一の背を見ているのさえ辛かった。けれど続いた言葉には、それ以上の衝撃を受けて息を詰まらせた。
「だがそれは昔の話」
 振り向く輝一の強い決意に満ちた眼差しが輝二を射抜く。
「輝二と出会え、話ができ、俺は変わった」
 そして再度ケルビモンへと向き直した。
「だからもう、闇なんかに負けない!」
 どうしてそんなことを言えるのだろう。彼のこの強さは一体どこから来ているのだろう。
 畏敬の念さえ感じ輝二は息を吐く。彼の方こそ眩しいくらいだと、自分の持つ光と闇のスピリットを思う。
 それにひきかえ自分はどうだ。
 生き延びるための力が足りない。
 気持ちを伝える言葉も持たない。
 分かり合うための時間すらない。
 どんな進化をしたって、こんな自分じゃ何一つ守れやしない。こんなに失いたくないと思っているのに、こんなんじゃ何もできないじゃないか。
 痺れたように動かない身体を、輝二は懸命に起こそうとする。従わないなら殺すだけだと輝一へ伸びていくケルビモンの腕を、阻止することのできない自分に歯噛みする。
「くっそっ…」
 自分らしくなくたって構うもんか。情けなくたってみっともなくたってこれっぽっちも気にするもんか。俺は今、彼をなくしたくないんだ。
 力を貸してくれ、オファニモン!
「兄さぁぁんっ!!」
 必死の願いを込めて輝二が叫ぶ。
 その声を、輝一は聞く。
『あ…』
 兄さん、て、呼んでくれるんだ。
「ありがと、輝二――」
 恐怖は微塵もなかった。ただ、こんな刹那的な出逢いと別れで自分たちの時間が終わってしまうのが、ひどく悔しくて涙が浮かんだ。
 迷いを生んだだけだった。苦しさを感じさせただけだった。悲しみを与えただけだった。そんなことのために君に会おうとしたんじゃなかったのに。
 安らぎを――
 君を迷わせるもの、君を苦しめるもの、君を悲しませるもの、全てを深い深い闇に溶かして、その身に心に、豊かな安らぎを――
 もうそれだけを願って、迫るケルビモンに目を据える。
 その時、ふいに柔らかな光に包まれた。
「俺の…デジバイス――?」
 目の前に現われた小さな黒いデジバイス。その中に確かに吸い込まれていった二つのスピリット――再び与えられた闇のスピリット。
 手を伸ばし、両手で包むように掴み取る。消えていく光を追って、一度だけ輝二を振り返る。彼のデジバイスから発せられていた光が薄れ、目の合った一瞬、輝二が小さく頷いたのがわかった。
 視線を敵へと戻す。
「負けない」
 真の闇のスピリットの覚醒におののくケルビモンを見据えながら、輝一は進化の光を身にまとった。
 溢れてくる力、感じる闇のスピリットの鼓動。けれど、ダスクモンとは違う。もっとずっと生命力に満ち、静かだが深い優しさと包容力を湛えている。それらが自分に染み透っていくのを、不思議なくらい心地好く思いながら輝一は進化を果たす。
 現われたのは、レーベモン。
 黒い体躯にパワーを漲らせ、彼は次々にケルビモンへと攻撃を繰り出していく。その力強く素早く向けられる技に、敵はすぐに怒りと焦りを見せ始めた。
 ケルビモンの巨体が咆哮を発する。長い腕に光の槍を持ち、レーベモンへと放とうとする。だが闇の闘士は慌てた様子もなく、人型から獣型へと進化の形態を変える。
 その細身の獅子が撃ち出す光弾を、底知れない興奮と共に輝二は見ていた。
 なんて強さだろう、と素直に驚く。五人がかりでも歯が立たなかったのに、彼は一人で十分優勢に立っているじゃないか。
 そう思うあいだにも、戦いの勝敗は決した。ケルビモンの身体を貫いたカイザーレオモンが着地するのを目にして、輝二の中の興奮は安堵の笑みへと変わっていく。
 その場にいた誰もが、消えていくケルビモンの姿に注目していた。彼が諸悪の根源なら、彼のデジコードをスキャンすればいい筈だ。奪われたデータを取り戻し、この世界を元通りにすればいい筈だ。これで戦いが終わるなら…
 だが、様子がおかしい。
「デジコードが出てこない…」
「ケルビモン本人じゃあないの…?」
「分身、みたいなもの、なのか?」
 口々に言う仲間たちの声をぼんやり聞きながら、輝一も進化を解いて立ち上がる。
「分身でこれじゃ、本体は相当だな」
 後ろに輝二の言葉を耳にして、漸く我に返った。
 戦っている時は無我夢中だった。でも、これだけの力があるなら、自分だけ行けばいい。何もわざわざ輝二やみんなをケルビモンと戦わせる必要はないんだ。
 そう思って、そう言おうとして振り向いたのに、すぐそこにいた輝二の姿を目にした途端、輝一はそれを口にできない自分に気づかされた。
「こ…う、じ…」
 代わりに出たのは切れ切れの名前。いろんな想いを込めて何度も呼び続けた名前。
「…兄さん」
 表情は硬いけれど、輝二も小さく呼んでさらに近づいてくる。そして、手の届く距離に来たところで、たまらず輝一は弟へと踏み出した。
「えっ――」
 驚いたらしい輝二の声がしたが、輝一は構わずに輝二の肩に右手ですがりついた。そのまま顔を伏せると、こわばる肩や息を詰めた様子と共に、激しく打つ心臓の動きが感じられた。
 そうだよ、会ってちゃんとこうして君が大切な弟だってことを確かめたかったんだ。そしてできれば君にも俺のこと、兄として知ってもらいたかったんだ。
 輝一は、自分の求めていたことにやっと気づく。
「兄さん」
 そんな輝一の想いに応えるかのように、輝二がもう一度短く兄を呼ぶ。声と同時に、肩に置いた手首が緩く掴まれるのを輝一は感じた。
『ああ、そうか。過去を帳消しにできる時もあるんだ』
 輝一の中にあった筈の暗い気持ちは、もうとっくに全て消えていた。輝二に対しては勿論、父母やその周りに存在する筈の自分たちを引き離した人や力に対しても、もう不思議と怒りは湧いてこなかった。
「一人でいたいなんて言っても、もう許さないからな」
「――偉そう…」
 やがて告げられた言葉に、輝一もうっすらと笑って言い返す。そうしてから僅かに顔を上げて呟く。
「…一人は嫌だ」
 そして、一度きっちり輝二を見上げ、顔の向きはそのままにすっと視線だけをそらして静かに口にした。
「一緒にいたいよ」
「――うん」
 低く輝二の頷きを受け、安心したようにゆっくりと輝一は体を離した。
「よっし、行こうぜ」
 ケルビモンも待ってるって言ってるし、と明るく言った拓也が先頭を切って歩き出す。続く仲間たちがそれぞれに、双子に笑顔を残していく。
「行こう」
 肩から腕を下ろしながら輝二が促す。
 今度は、手を離しても寂しくない。
 確かな想いを胸に、二人は同じ歩調で歩き始めた。

更新日:2002.12.18


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