Pulse D-2

ars magna

「Commozione!」
「らぁーっきぃぃぃ!!」
「やったぁ~♪」
「…ていうかさ、これってベッドって言うのかな?」
『ベッドルーム』とはまさにこのこと。部屋じゅうが巨大なベッド、という一室に案内されて、皆はそれぞれに声を上げた。最後に室内を覗き込んだ双子も、その様子に顔を見合わせて笑う。
 ベッドで寝るのはほんとうに久しぶりだった。デジタルワールドへ来てからは、野宿野宿また野宿、の毎日だったので、屋根のある所で眠れるだけでも上等というつもりで来た街だった。
「布団の大きさはこれでいいですかね?」
 気の良さそうなデジモンが、三人がかりで掛布団を運んでくる。部屋は大型のデジモン用のものだと言うが、実際にここにどんなデジモンが寝転がるのかはよく分からなかった。例えばベッドの上のレーベモン、あるいは布団にくるまるヴォルフモン、などと想像しようとして失敗し、また双子は目を見交わした。
「ワシらほんとに、金は持っとらんぞい」
 次々と広げられていく人間サイズの布団を見ながら、ボコモンは側にいた宿屋の主人らしきデジモンに念を押す。そのせいで随分とひもじい思いをしたこともあったので、急に親切にされても心配せずにはいられなかったのだ。
 だが、ややのんびりした口調で彼は答えてくれた。
「大丈夫ー。君らのことはいろんな筋から話を聞いてるよ。ケルビモンを倒すために戦ってる人間の子供って、君らのことでしょう?」
「ケルビモンはもう倒したんじゃ」
「えーっ、それはまずいねぇ」
 長い耳をぱたぱたと動かして小さなデジモンは口にする。一瞬、部屋の中に緊張が走ったが、続いた言葉に呆気に取られて皆はしばし沈黙した。
「宴会準備、宴会準備っ」
 慌ててそう口走りつつ、デジモンは走り去ったのだった。
 その日のうちに宴会の準備は整い、夜は泊まり客全てを招いて食事がふるまわれた。やはり久しぶりにゆっくりと温泉につかり、さっぱりとしたところで拓也たちも宴に加わる。主賓である彼らに対するもてなしは十分過ぎる程のもので、見た目を裏切る不思議料理の数々に驚きながら楽しい時間を過ごす。
 だが、そうしてほっとすると、日頃の疲れもどっと押し寄せてきて、適当なところで部屋へ戻った彼らはあっと言う間に眠りに落ちた。
 そんな夜。
 ぱちりと目を開けた自分にびっくりして、泉は暗い室内を見回した。見回すと言っても顔を動かすわけでも頭を上げるわけでもない。布団の中で静かに横になったまま、目を動かして視界の端から端までを辿るだけだ。そこに見えたのは、枕の一部と掛布団の角、すぐ横にいるネーモンの耳、そしてその向こうの輝二の寝顔だった。
 何だか少し苦しそう…
 泉が思った直後、ひときわ大きく輝二が息を吐いた。
 これで目が覚めたんだ、と泉も思い至る。
 呼吸と言うよりため息と捉えた方がよさそうな息遣いに、不安を覚えて目を開けたのだ。
 分かると同時に頭を上げかける。だが、ふと途中で止めて息をころした。輝二の背後で動く影があった。
 体を起こしたのは輝一だ。躊躇うような間があった後、輝二に近づいて自分とは反対側に向けられた弟の顔を覗き込む。僅かに眉をひそめ、心配そうな表情をしているのが泉からも見て取れた。
 でも、どうすればいいのか彼にも分からない。そんな雰囲気があって、どこか諦めたように動かした視線が泉の目と合い、思わず互いに凍りついた。
「あ、え…と、起こした、かな? ごめん」
「あ、ううん。少し前から起きてた」
「そう。…何か…気になったから…」
「うん。…あたしも」
 どうにかこれだけ言って目を逸らす。そうして長く、二人で輝二を見つめていた。
「あの…泉、さん、て――ごめん、名字覚えてなくて」
「織本泉。いいよ、泉って呼んでくれて」
 無理だろうなと思いつつ試しに言ってみる。
「えっと…泉……さん、て…輝二のこと好きなの?」
「え?」
「違うかな、輝二が泉さんのこと好きなのかな? あっ、ごめん、何となく、仲いいんだなって思ってたから…答えなくていいよっ」
 焦ったように首を振り、輝一は壁に背を預けて正面を向く。その様子を見ながら泉は起き上がり、肩まで布団を引き上げてから笑って言った。
「好きよ。輝二にも言ったし、輝二もそう言ってくれたし」
「そうなんだ」
 ぱっと笑顔になった輝一を見て吹き出しそうになる。
「どうして輝一君がそんなに嬉しそうにするの?」
 えっ、そうかな、と照れて、輝一は立てた両膝の上で布団に顔を埋めた。
 泉も同じ姿勢になると、足同士を合わせる格好で向かい側に眠っている友樹の姿が見える。隣の拓也の背にくっつきそうだ。拓也の向こう、輝一と向かい合う場所には純平。意図的に泉から最も遠い場所に押しやられた形になっている。ごめんね、と少しだけ肩を竦めてみせた。
 そんな向かい側のどこかから、時々微かに、何かをこすり合わせているような音が聞こえていた。
「何の音?」
「なんだろう…?」
 輝一も気づいたのか、泉の問いに首を傾げる。けれどその答えを見つけるより先に、二人の間からはっきりとした言葉が発せられた。
「何やってるんだ、寝ろよ」
 あら、と泉が声を上げる。
「輝二のせいで起きちゃったのよ」
 まじまじと泉を見上げてから、輝二は首を廻らせて輝一を仰ぎ見た。
「…そうなのか?」
「え…っと…」
 答えに窮する兄を見て、悪かったな、と輝二は低く謝罪した。
「でも頼むから、俺を挟んで話すのはやめてくれ」
「挟まないでしゃべったらもっと嫌じゃない?」
 意外にも即座に輝一に切り返され、今度は彼をじっと見る。さっきとは逆の動きで自分に向けられた視線に、泉は堪え切れずに目を細めて笑った。
 ふうっ、と輝二が息を吐く。もうどうにでもしろとばかりに瞼を下ろし掛け、そこで、何かに気づいたようにもう一度目を開けた。上体を起こし拓也に目を向ける。数秒間そのまま注意を向け、それから布団を出る。ベッドの上を這って拓也の側へと行く彼を、輝一と泉は不思議に思いながら見ていた。
「おい、拓也」
「んぁ?」
 低く聞こえていた音が消える。
「あ…」
「え?」
 泉の上げた声に輝一が反応する。
「ううん、何でもない」
 声をひそめて答え、泉は輝二と拓也のやり取りに意識を戻す。寝ぼけた拓也が何かぼそぼそと言っているようだ。
「いや。今夜は見張りはいらないだろ」
 あ、そっか、と輝二の言葉に答える拓也。
「ったら起こすなよ」
「そうだな。悪い」
 言いながら輝二はくしゃくしゃと拓也の頭を撫でる。それは見ていた二人には予想外の仕種で、子供扱いするなと拓也だったら怒り出すのではないかとはらはらした。
「なんだってー…」
 案の定、拓也は抗議にも聞こえる言葉を発したが、不思議と声音は楽しげで、微かに短い笑い声も続いたように感じられた。
 声が消えても、しばらく輝二はその場を離れなかった。拓也の眠りを確認するよう黙って見下ろす。暗くても伝わってくる表情の静けさと雰囲気のやさしさに、確かに嫉妬する自分を泉は感じた。
「もしかして、俺、ため息ついてたか?」
 やがて自分の布団に戻り、輝二は低く尋ねる。両脇で二人が揃って頷く。
「そうか――悪かったな」
 けれど泉は静かに言った。
「いいよ、それくらい」
 驚いて目を向ける輝二に、できるだけやわらかくほほえんでみせる。
 何となく、わかった気がした。
 拓也の歯ぎしり、輝二のため息。
 それは、同じものなんだ。
 二人だけに次々と新しい力が与えられて、その度に二人は強くなって、そして、背負うものが大きくなって。がんばって、としか言えない自分たちも辛いけれど、頑張るしかない彼らはもっとずっと苦しかった筈なのだ。
「何とかなる」と言い続ける拓也。「負けられない」と言い通す輝二。その思いを持続する強さをこそ、二人は必死に身につけてきたのではないのか。
 それぞれの人と獣のスピリットを重ねても、仲間たちの託す十個のスピリットを合わせても、それを根底で支える心は二人の子供のものでしかないのだから。
 なのに、やっとの思いでケルビモンを浄化しても、再生されないデジタルワールドの大地。理由も意味も分からなくて、多分、二人は今、怖いくらいに不安なのだ。何か間違えたのだろうかと。自分たちはどんな失敗をしてしまったのかと。
 拓也の歯ぎしり、輝二のため息。
 きっと今までもこうやって、輝二は拓也に、拓也は輝二に、はっきりそうとは言わないまでも手を差し伸べることがあったのだろう。時に励ますように、時に宥めるように。
 やっぱりちょっと悔しいな。
 思うけれど口にはしない。代わりに、
「そっちに行ってもいい?」
 と聞くと、輝二より先に向こう側から輝一が楽しそうに口をはさんだ。
「それがいいよ。俺も、いい?」
「もちろん」
 思い切りにっこり笑ってみせる。
「おいっ」
 困り顔の輝二の声は、揃って軽く受け流す。布団を引きずって輝二の右側に寄せ、輝一が背を向け横になる。
「おやすみ」
 短い挨拶に同じ言葉で答えてから、泉もネーモンを移動させる。障害物のなくなったシーツの上を近づいて行くと、明らかに照れた様子で輝二が髪を掻きあげた。
「ほらっ、早く寝る寝る」
 言われて布団にもぐる輝二が、沈み際に兄の横顔を見遣る。嬉しそうに照れ臭そうにちらりと笑うその顔が急に幼く見えて、泉の中のほっこりと暖かい感情を大きく成長させていく。
『子守唄でも歌いたい気分…』
 何だかなぁと自分でも照れながら、手を伸ばし輝二の瞼を下ろした。

更新日:2003.07.16


[輝二×泉〔Stories〕]へ戻る