ミクロコスモス
純平と交替して現れた輝二は、今夜も上着を着ていなかった。ここ数日、ずっとそうだ。
こーのカッコつけめ…と思うが、そういう自分も今はシャツ一枚分昼間より薄着なので、拓也は何も言わない。輝二のジャージは泉に、拓也のシャツは友樹に、それぞれ及ばずながら毛布代わりにと掛けられているのだ。
小さな炎を挟んだ向かい側にTシャツ姿の輝二は腰を下ろし、頭のバンダナを巻き直す。その様子を見ながら、そういえばこいつの寝ぼけてるところをみたことがないなと、拓也はふと思う。こっちは毎朝のように蹴り起こされているというのに、だ。
「あのさー、見張りの順番、変えてみねぇ?」
思い立って言ってみる。自分の寝起きが悪いのはそのせいもあると思ったのだ。少し眠って夜中に起きて、数時間見張りをした後にまた少し眠る。切れ切れに眠るから深く眠れない。結果、最後に起きてきてそのまま朝まで火の番と周囲への警戒を続ける輝二に、仕事の仕上げとばかりに起こされることになるのだ。
でも最初にこれでいいって決めたのも俺だしなー、と思わなくもない。輝二は厳しいから却下されるかも。
拓也があれこれ考えているあいだ輝二はじっと拓也を見ていたが、一通り考え終えて彼が目を上げると、それを待っていたかのように口を開いた。
「そうだな。俺たちの順序だけ逆にするか」
「えっ」
我が意を得たりな提案に、拓也は短く驚きの声を上げる。
「お前、うまく眠れてないだろ」
そして続いた言葉に黙り込んだ。
『こいつ、わかってたんだ…』
わりと頭も回るし周りも見てる。最初に感じたほど嫌な奴じゃなかったし、決めたことはきちんと守る。頑固なところは確かにあるが、理不尽なことは言わないかも。
今度はそんなことを考えて相手を見直しかける。
「毎朝起こすのも面倒だしな」
――でも一言多いし。
「あーそーだろーとも。いっつもお前、すんげーめんどくさそうに起こしてくれるもんなー、ありがとーよー」
言ってるそばから背中には、輝二の靴のつま先の感触が甦るようだ。たまには優しく起こしてみやがれ、と内心毒づく。――それはそれで怖かったが。
「とにかく、何日かごとに変えよう。様子を見て純平にも加わってもらえれば尚いいな」
輝二は言ったが、拓也は苦笑と共に首を傾げた。
「あー、それは純平、嫌がるだろうな」
どうしてだ? と目で尋ねてくるのに、だってさ、と拓也は答える。
「純平が最後になるってことは、俺かお前のどっちかが泉と組むことになるってことだろ」
「…ばかばかしい」
「お前が言うかな」
拓也は軽く笑って言うが、輝二はくだらないと言い捨てたきり黙って炎を見つめていた。
野営の夜は、基本的に二人ずつ起きて火の番をすることにしていた。泉と純平、純平と拓也、拓也と輝二、の順で組になり、最後の輝二だけが明るくなって友樹が自然に起きるまでの少しのあいだ一人で過ごすことになる。泉に夢中な純平にとってこれは崩したくないローテーションだろうと、誰もが思っていた。
だけど体力的には純平が一番有利な筈だよな、とは拓也も思う。その一方で、一人きりの時間があることに関して純平には不安を覚えた。
『あいつ眠っちまいそう…』
思わず苦笑が洩れる。同時に、輝二が相手の時にはそんなことは考えもしなかったことに気づいた。
「なぁ――」
「ん?」
目を上げた輝二を一瞥する。聞こうと思ったことは何となく言いにくくてすぐに拓也は目を逸らすが、ごまかされることの嫌いな輝二の視線がいつまでも向けられていて、何か他の質問をと密かにひどく焦った。
「純平、眠っちまいそうじゃねえ?」
睨むようだった目が、拓也の言葉に笑いを含む。
「かもな」
短く答えて本当に笑う。笑顔はすぐに消えたが、輝二に同意されるのがやけに嬉しいということだけは、拓也自身にもよくわかった。
「じゃあ、俺は?」
信用のほどはかなりあやしい。自分ではそう思う。
だいたいこいつが他人を信用するってこと自体疑わしいよな、とまで拓也は考える。だが、
「お前は大丈夫だろ」
と、いともあっさり輝二は答えたのだ。
「心配なら、友樹に少し早く起きてもらうか」
そして提案とも質問とも取れる言い方をして、微かに首を傾げた。再び静かに炎へと移っていく彼の視線を、拓也は黙って追っていた。
夜明け前の一人の時間を、こいつはどうやって過ごしてるんだろう?
飲み込んだ疑問を拓也は心の中で繰り返す。
暗い中を起きてきて、大して話をするわけでもなく二人で見張りをする。それから自分が眠って、輝二は一人で朝を迎える。話し相手なんかいない方が、もしかしたらこいつには楽でいいのかも。
『ちぇっ…』
それは何かちょっと悔しい。相手が輝二じゃなくても、多分、そういうのは悔しい。
顔に出たのだろう。気づいたらしい輝二が、また無言のまま目を向けてくる。
「純平からお前に替わるとさ、なんてーの、落差が激しいって言うか――」
咄嗟に出たのは考えていたこととは違う言葉だった。確かに、ノリのいい純平とだんまりの得意な輝二とでは、一緒にいる時の気楽さにはかなりの差がある。だが拓也はそのどちらがいいとも悪いとも思ったことはなかったし、いま本人に言おうとしたわけでもなかった。
またムッとするかな…と、怒らせた時の対処法ばかり考えようとしている自分に気づく。そこに届く低い声。
「だろうな」
肯定の言葉と伏せられる目。
「悪ぃ…」
「何が?」
「あ、いや…何でも」
どうにもばつが悪くて頭を掻く。やっぱりこいつは苦手かも、と膝を抱え込み顔をそむけた。
気を取り直し、『朝』について考える。自分にとっては一日の始まりとなる朝。対になる一日の終わりは、この見張りが終了する時だと感じる。不本意ながら、一日の最初も最後も話す相手は輝二だ。
『くそっ、ほんとに不本意だ!』
まあとにかく、と自分を宥める。
始まりが朝で終わりが夜。途中に変な具合に眠る時間が入るが、あれを仮眠と捉えれば、結構まともな規則正しい生活じゃないかと思う。
でも輝二の一日は違う。夜に始まり夜に終わる。変なところでリセットのかかる一日。
…何か、嫌かも。
「なぁ――」
声を掛ければ目だけ上げてくる澄ました顔。読めそうで読めない、ふいに予想を裏切る奴。悔しいから側に寄る。
「もっと笑えー」
突然頬を引っ張られ、イテテ、と輝二が声を上げる。
「…んだってっ」
掌が拓也の顔を押し返す。
変な奴、よくわかんねぇ奴、無愛想な奴、きっつい奴。
「すかしてんじぇねーよっ」
だけど頼れる奴、まっすぐぶつかってきてくれる奴、そして俺のこと、認めてくれる奴。
「このっ」
――でもまた蹴るし!
輝二に蹴られた腹を抱え、元の位置に戻って拓也は叫ぶ。
「もう、寝る!」
「ああさっさと寝ろっ」
睨む輝二には目を向けぬまま、それから、と続ける。
「やっぱ、いい」
何がだと一応輝二が聞いてくる。
「順番、変えなくていい。その代わり蹴るな」
ぱったりとその場に横になる。視線を遮る火をよけて、向こうから輝二の覗き込んでくる気配がする。
「蹴らないでさ、起こしてくれよ…めんどくせえとは思うけど」
返事が無い。
「わかったかよ?」
「…わかった」
笑ったかな? どうかな?
背中ごしの声の調子だけではよくわからない。でも、笑ったような気がする。
思いながら、拓也の方こそ小さく笑んだ。
更新日:2003.10.01