Pulse D-2

ユニバーサル・グラヴィテーション

 かっはーっ、よりによって輝二かよっ!
 もうサイアク、とばかりに拓也はごろごろと床を転がる。それが床ではなく本当は壁なのだと気づいたのは部屋の端まで行った時だったが、そこで上げた視線が再び輝二の上で止まると、自分でも気づかぬうちに歯を食い縛り、横になったまま目を据え続けた。
 対する輝二は仏頂面。まだ入口付近に立っていて、拓也を撲るのに使った棒も手にしたままだ。第一声で彼らに対し、「頼りにならん」と大いに失礼な言葉を投げたにもかかわらず、さらに何か言いたげに拓也を見下ろしている。
 目を逸らすのは『負け』に通じるような気がして、お互いに視線を外せない。自分の方こそぶつけてやりたい文句の一つや二つや三つや四つは簡単に出てきそうな拓也だったが、一度きつく噛み合わせてしまった歯はいざ緩めようとしても言うことを聞かず、情けなく顔が引きつらないようにするのが精一杯だった。
 もしかしたら、輝二もそうだったのかもしれない。
 随分あとになってから拓也はそんなことを思ったが、この時はただ、二人揃ってむっと押し黙り、睨み合っていただけだった。
 その二人の視線を断ち切るかのように、ふいに細い腕が振り下ろされた。割って入ったのは泉だ。
「輝二君、お久しぶり」
 下ろした腕を体の後ろに回し、泉は輝二と向き合う。少し斜めに横に傾いで顔を覗き込むようにするのに合わせ、彼女の長い髪が背中で揺れる。
「元気そうでよかった」
「え…あぁ――」
 驚いたように瞬いて、輝二は目線を泉へ移す。
「輝二君もいるなら、なおさら安心」
 多分、泉はにっこりと笑いながら話しているのだろう。拓也から彼女の表情は見えなかったが、明るい声の調子と輝二の口ごもる様子に、想像するのは容易だった。輝二の向こうで口をぱくぱくさせている純平が少々哀れだ。
「まぁとにかく」
 気を取り直して起き上がる。
「一緒にやるっきゃねえんだから、そうツンケンすんなって。よろしく、てな」
 拓也の言葉に輝二は仕方なさそうに軽く息を吐き、視線を空に向けて小さく頷いた。
 彼らの再会したカラツキヌメモンの村は極度に切り立った山の中腹にあるため、地に面して建てられた住居は奇妙に重力に逆らった造りになっていた。住人であるカラツキヌメモン(要するにリアルワールドで言うところのカタツムリだよなと拓也は思う)たちは床でも壁でも貼り付くことができるので平気らしいが、拓也たちにそんな芸当ができるわけはなく、全てにおいて90度回転した中で食事をし、人質救出の作戦を練り、デジモンたちの勧めに従って休息することになった。
 すぐそこにベッドがあるというのに(正直言って用途は不明だが)、実際に彼らが眠るのは草を敷き詰めた床(本来は壁)の上だった。残念、と少しだけ拓也は思う。
 それでも屋根のある場所で休めるのはありがたかったし、見た目と食感はキャベツだが味だけはピザやらカレーやらとバラエティーに富んだ食事でようやく腹がふくれたことに、ほっとしたのもあったのだろう。今までと少し違う草の匂いをかいだと思った次の瞬間には、拓也はすとんと眠りに落ちていた。
 久し振りに安心して眠れる夜だと思えば、隣に気に入らない奴がいることもすぐに頭の中から消え失せた。
 だから、暗い中で目を覚ました時にはぎょっとした。
 何だ、俺いま、どういう状況!? と焦った顔は、真向かいで目を開けていた輝二にバッチリ見られたことだろう。
 内心で舌打ちしている間も輝二はそんな拓也に目を向け続けていて、その意味や理由がわからずにまた拓也は歯を食い縛りそうになる。
「何だよおまえ、寝ねぇのかよ」
 無理やり口を開いて尋ねても、輝二は何も答えない。ただ体の向きを変えて、天井(これも本当は壁か…)へと顔を向けるだけだ。
 ほんっとに愛想のかけらも無い奴、と思う反面、その無言のままの動きと室内の薄闇をぼんやり見つめる姿には、心の表面をざらりと撫でていくような不安定さを見たような気がした。
 寝ないんじゃなくて、眠れないのか…?
「なぁ」
 呼び掛けに、かろうじて横目が向けられる。
「もしかして――」
 でもコレ言ったらまたやな顔すっかな。
 ちらりと思い、拓也は言いかけた言葉を呑み込んだ。
 拓也だって別に、輝二を怒らせたいわけではないのだ。わざわざ嫌な思いをしたいわけでもなければさせたいわけでもなく、相手を積極的に嫌いたいのでもなければ相手に嫌われたいわけでもない。
 なのにどうしてこうもこいつとは反りが合わないのかと、拓也は首をひねりたくなる。他の仲間たちとはそれなりに上手くいっていると思うのに、輝二とは会うたびに溝を深くしていっているような気がする。
 渋谷に向かう電車には息切らして何とかぎりぎりで飛び乗ったし。エレベーターにはいきなり頭から突っ込んだし。せっかくかっこよく助けに入ったと思ったら進化が解けちまったし。次に手を貸そうとした時は友樹だけ助けて輝二のことは穴に落としちまったし。泉のピンチの時には俺はいなかったし。飯に釣られてのこのこやってきて隙だらけで撲られてるし。――ああ、いいとこないかも…。
「俺って、そんなに頼りになんねぇかな?」
「ならんな」
 素っ気ない返事。
 遠慮のねえ奴、と拓也は眉根を寄せる。
「これでもかなり頑張ってるつもりなんですけど」
 拗ねたような口調が子供っぽい。自覚があって拓也は悔しく思ったが、そうなってしまうものは仕方がないし、今さら取り繕っても意味がないかと諦める。
「だったらそのまま頑張ればいいだろ。俺には関係ない」
「へいへい」
 目を天井へ戻して冷たく言う輝二に、拓也もおざなりに返事をする。否定されないのは嬉しかったが、それに続く言葉がどうにも悪い。
『関係ねーのかよ、一緒にカラツキヌメモンたちを助けようって言ってんのに』
 頭の中ではそんな科白がぐるぐる回り、言い返したい気持ちを刺激する。でもそこで輝二の横顔を見ながらふと考え直し、拓也は表情をやわらげた。
「おまえさ」
 また、横目で見られる。
「案外いい奴だな。人質助けてやろうなんて」
「別に。世話になった分を返すだけだ」
「ふうん。相変わらず借りは返してるわけね」
「文句があるのか?」
 睨んでくるのを受け流すよう、拓也は視線を外す。
「べっつにー」
 そうして答えてから、にやっと口の端を上げた。
「俺も返してもらおっかな」
「貸したつもりはないんじゃなかったのか?」
「おっまえ、そーいうことは覚えてんだな」
 笑いを含んだ目元はそのままに、口先だけ少し尖らせてみる。輝二も微かに笑いそうな雰囲気を感じさせたが、残念ながらそれはすぐに消え、笑みを見せるかわりに彼は、
「そっちこそ」
 と小さく返して、拓也とは反対の側へと顔を向けた。
 またそっぽ向かれた、と何となく拓也は思う。
 目を逸らす、顔を背ける、手を払う、背を向ける、立ち去る。輝二のアクションはそんな他者を拒絶するようなものばかりな気がする。そして、意識しないままにそういう彼の動きが自分の中に溜め込まれていて、胸に小さな影を落としていたのだと気づいた。
「なぁ」
「…何だ」
 面倒臭そうに声だけが返ってくる。夜に対抗するかのように開かれたままの目を、斜めに見つめて拓也は言う。
「ちゃんと寝とけよ」
 輝二は一瞥し、視線を戻しつつ体の向きも変えた。
「俺の自由だ。お前には関係ない」
「へーいへい」
 今度はジャージの背中に向けて、拓也は低く返事をした。
『このやろう、ぶっ飛ばーす!』
 横向いた体の上側になっている左手を、思わずぐっと握り締める。どうもこいつといると力が入るなぁと、横になったまま少しだけ首を揺らして体をほぐす。
 そうして、目にしている背中の向こう側できっとまだ彼の両目はしっかりと開かれたままなのだろうと、堅い輝二の表情を想像した。
 あの顔が笑うことなんてあんのかな? いや、そりゃ、あるだろうよ、と一人でこっそり問答してみる。そうすると逆に、不愉快そうなしかめ面や小馬鹿にしたような澄まし顔ばかりが浮かんできて、何で俺にばっかそういう態度をとるのかなこいつ、と彼にしては珍しく卑屈な考えが拓也の頭を占めた。
 別にいいけど。
 思いつつも、もう一度強く拳を握り締め直した。
「ばーんっ!」
「って、お前なっ!!」
「あ、悪ぃ、つい」
 強くはないが、輝二の背中に拳をぶつける。驚きと怒りとで振り向いた輝二に、戻した左手で頭を掻きながら拓也は口先だけで謝ってみせた。
 何が「つい」だ、と言いたげに輝二は眉根を寄せたが、周りにも気を遣ったのか、何も言わずに溜め息を一つ残しただけでふたたび背を向ける。その姿自体はさっきまでと少しも違わないのに、こころもち冷たさが薄らいだ気がして拓也をどことなくほっとさせた。
 何だか知らないが引き寄せられる。
 そんな感じがあるのを拓也は自覚する。
 輝二に対しては、反発する気持ちと同じだけ近づいてみたいとも思うのだ。
 今いる仲間たちの中で、本当に最初に会ったのは彼だった。先を行く輝二に導かれるようにして、渋谷の地下ターミナルに辿り着いた。走り出した輝二に張り合うように、急いで自分もトレイルモンに飛び乗った。直後、トンネルに視界を遮られ、初めて別の場所へ行くのだと気づいた。
 愛想が無いのは変わらない。でも悪い奴じゃないことは確かなんだと、少ないやり取りの中でもわかったのは嬉しいことの部類に入る。
 それに、少し、感動もしたのだ。友樹を庇って戦う様子に、デジモンへと進化する彼の姿に、自分も助けてもらったという泉の言葉に。
 そして同じ森のターミナルを目指しているのだと知り、次に会ったら今度こそゆっくり話をしてみたいと思っていたのだ。何でもいい、気楽に笑ってできる話を。貸し借りを作らない、クラスメートとしていたような話を。
「おやすみ」
 思い立って、試しに小さ過ぎない声で言ってみる。
 しばらく待っても輝二からの答えはない。
「おーやーすーみー」
 くじけずためらわずもう一度。
 今度は深いふかい溜め息が返り、同時に輝二の肩も大きく揺れた。
「…分かったから、さっさと寝ろ」
 ほんっとにこういう言い方ばっかする奴、と呆れつつも、笑いたい気持ちが浮かぶのも感じてまた腕を伸ばす。
 ぐりぐり。
 再び輝二の背に拳を当てる。
 思い切り怒鳴られるかとも思ったが、輝二は無言のまま体を少し前に移し拓也の手を避けた。
「うわ…」
 やな奴~、と拓也は呟く。
 その声が聞こえたのか、フンッと小さく鼻を鳴らすような音がした。それでも少しの間の後に、輝二の声が拓也の元にも届く。
「……お、や、す、み」
 いかにも渋々といった感じの声だった。きっとまた眉間に皺を寄せているのだろうと、拓也は口元を歪ませる。
『まだ、そんな気楽な関係にはなれそうにないけどな』
 でも最初からいいとこなしの関係だからこそ、上はいくらでもある筈だ。拓也は思って望みを繋ぐ。
「おやすみって言ったからには目は閉じるんだぞ」
 仲間だと思っているのだ、少なくとも自分は。だから力を合わせたいとも思うし、頼ったり頼られたりもしてみたい。いろんな面を見て、そしていつか、彼に引き付けられた理由も知りたいと思う。
「目つぶってりゃそのうち眠れるって、かーちゃんに言われたことねえか?」
「……うるさい」
 けれどいきなり声が険を帯びる。明らかに『渋々』の下をいく不機嫌さで低く口にし、さらに拒むよう背を丸める輝二の姿が見えた。
 ちぇっ。何だか知らねぇけど、また失敗。
 拓也も心の中で舌打ちする。
「はい、はい。どうもすいません」
 仕方なく、言いながら寝返りを打った。
『今日のところはこれで勘弁してやるか』
 強気に思って目を閉じる。
 どうせ同じ道を行くのだ、これから少しずつ知っていけばいい。
 そう思うと少し気分が楽になり、再び静かな眠りの中へと拓也はゆっくり引き込まれていった。

更新日:2008.11.14


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