Pulse D-2

はだかの気持

 わずかな明かりに照らし出されるガンダニウム合金の機体。そこから一つずつ剥がされていく外装。それらはやがて、違った用途をもつ違った形の部品へと再生されることになる。
 ぼんやりと薄暗く、重く低い作業音だけが響く作業場。そこで、丁寧にけれど素早く、そのパイロットの手によってガンダムは解体された。



 ふっと目を開ける。
 夢を見たのかと、カーテンの隙間からもれてくる青みがかった明るさへと視線を漂わせて、五飛は静かに息を吐いた。
 地球へ降りてから数日。まだほんのそれだけなのに、自分が宇宙にいたのは随分遠い過去のことのように思われた。コロニーの記憶、戦争の記憶、ガンダムの記憶。忘れるはずがないのに、ゆっくりとした時間の流れの中でそれらはただの夢だったのではないかと感じることがあるのだ。
 しかし、勿論それは夢ではない。実際に自分の辿ってきた道だ。その証拠として自分はここにいる。生まれ故郷のコロニーではなく、戦争前はずっと眺めるだけだった人類の母星である地球に。
 そう、地球とコロニーとの戦争は終わったのだ。
 平和な世界を築くための機構が動きはじめ、戦闘の主力であった軍事用モビルスーツはすべて解体された。それはあらゆる場面において平和と独立と戦争の象徴であったガンダムという機体についても同様で、周りから言われるまでもなく、そのパイロットたちはそれぞれの方法で生死を共にした機体を廃棄したのだった。
 二度とガンダムが作られぬよう、一切の情報が残らぬよう、人目に触れぬ場所で秘密のうちにその作業は行なわれ、終了と同時にパイロットは姿を消した。L4コロニーへ戻ったカトル以外は行く先さえ告げずに、たいした別れの言葉もなく去ったのだ。
 その中で、五飛はトロワと共に地球へ来た。戦争中に交わした約束は有効だったらしく、作業を終えて一人たたずむ五飛に声を掛けると、彼はただ黙って肯いてトロワについてきたのだった。
 特別行くあてもなかったし、と五飛は寝返りをうつ。
 広いベッドには五飛と共にトロワも横になっていて、自分に向けられている彼の背中へと体を寄せて五飛は再び目を閉じた。
 気づいてトロワは薄く目を開けたが、特に何を言うでもなくまたすぐに眠りにつく。地球へ来てからは、夜明けごとにこれを繰り返していた。
 五飛が何を感じているのか正確に掴むことは出来なかったが、トロワはそれを訊ねることはなく、いつでもじっと傍にいた。そして次に目を覚ます時には彼に抱きしめられているのだということも、五飛には分かっているのだった。



 港の近くで市場が開かれ、二人はそろって車で出かける。街を見下ろす高台に家を借りたため、どちらにしても日常の買い物は大仕事になる。それなら出来る限りいいものが食べたいと言い出したのはトロワで、少しだけ早起きをして家を出ることにしたのだった。
 地球でもコロニーでも戦争の影響は生活の多くの面におよんでいる。中でも食糧を始めとする物資の不足は甚だしく、崩れた街の復旧にはげむ傍らで、人びとは日々の生活に苦労を強いられていた。
「一部の者の富を支えるのは大多数の貧しい者たちだ。どこまで行ってもそれは変わらない」
 街中を通り過ぎた時に、ぼそりと五飛が言った。
 彼らの目に映る街並は人通りも乏しく、倒れたビルやはがれたアスファルトとあいまってひどく寒々としていた。市場へと向かう足も疲れ、それは一時の、連合の支配を受けて苦しんでいた頃のコロニー住民を思わせて、五飛の眉をひそめさせた。
「一体何が変わったというのだ…」
 ここに自由はあるのか。平等はあるのか。平和はあるのか。
 求めていたはずのものは何一つ手に入れていないのではないかと考えてしまう。それなら、自分たちの戦いにはどんな意味があったというのだろう。
 沈黙したままの二人を乗せて、車はひらけた場所へ出る。狭い駐車場の向こうにいくつものテントが見え、その更に向こう側の倉庫のように見える建物へと続いていた。テントの部分は臨時の売り場なのだろう。
 なるべく市場に近い位置に駐車して、トロワはキーを抜く。
「少なくとも、支配するという体制はなくなった筈だ」
 トロワの声に五飛が目を上げる。
「指図されているわけではなく、強制的なものでもない。皆、自分の生活を取り戻すために自分の意志で働いている。それは地球もコロニーも同じ筈だ」
 だが、続いた言葉に五飛は視線を落とした。反対意見があるのかと思って、トロワはハンドルに手を掛けたまま五飛を見続ける。
「取り戻す、か」
 そして五飛の呟きに、もっと言葉を選ぶべきだったと気づく。
 彼には取り戻せないものがあったのだ。
 掛けるべき言葉を見つけられず、トロワは五飛へと手を伸ばす。頬に触れると、顔を向けてきた五飛に素早く口づける。
 それだけで、五飛はトロワが困っていることに気づいて軽く笑ってくれた。
「行こう」
 そうしてドアを開ける五飛に肯いて、トロワも車から出た。
 普通に買い物をして、普通に家へ戻り、普通に食事を作って、二人でそれを食べる。何の変哲もないあたりまえの生活。そんなことすら今までの自分たちには考えられないことだったのだと、五飛は目の前で食事をするトロワを見遣る。
 戦争を終えたらすぐにでもサーカスへ戻ると思っていたのに、地球へ来た彼は一言もそれらしいことを言わない。その気がないのか、それとも自分に気兼ねをしているのか。
 しかし口に出すことはなく、目だけで何だ、と聞いてくる彼に小さく首を振って応え、五飛も食事を続けた。



 他人とともに行動することには、時折わずらわしさが伴う。今までも五飛は余程のことがなければ誰かと一緒にいることはなかったし、そうしたいと積極的に思うこともなかった。けれど、トロワに対しては、うっとうしいと思うことも面倒だと思うこともない。離れたいとも思わないし、そうする理由もない。
「甘えだな…」
 強い風の中で、五飛は一人ごちる。
 迷った時、悩んだ時、前へ進めなくなりそうな時に彼がいてくれた。そして、大切なものを失って心までなくしそうだった時に、彼の存在がぴたりと胸におさまった。尋ねて欲しくないことは決して聞いてこない。そのくせ飲み込んだ言葉の分まで理解してくれる。命令しない。強要しない。いつでも居心地のいい場所を作っていてくれる。その場所に、いつでも自分を受け入れてくれる。だから、気づかずに甘えてしまう。
「こんなのは、平等じゃない」
 自分ばかりが彼に負担をかけていると、そんな気がする。
 自分が彼を頼るほどには、彼は自分を必要としていないのではないか。
 ふと浮かんだ考えに胸を痛ませて、五飛は暗くなり始めた街へと目を向けた。
「五飛――」
 家の中で自分を呼ぶトロワの声が聞こえている。
 風の音、木の葉のざわめき、辺りに咲き乱れるコスモスの揺れて触れ合う音。それらに消されることなく、トロワの声は自分に届く。では、自分の声は?
「トロワ…」
 聞こえる筈のない呟きをもらす。
「こっちだ……早く来い…」
 馬鹿なことをしていると思う。自分の言葉にかかわらず、家の中を探し終えた彼は庭へと出てくるだろう。そんなことは分かっているのに…
 やがて近付いてきた足音に、ほら来たではないかと目を細める。
「寒くはないのか?」
 それでもやはり嬉しいのだ。かけられる声に、心が踊る。
「少しな」
 素直に本音をもらすと、トロワは大切そうに後ろから五飛を抱きしめた。
 トロワは自分を好きだと言った。そして、おそらく自分もトロワを好きなのだと思う。好きな者とは一緒にいたい。けれど、ただ好きだというだけで人はいつまでも一緒にいられるものなのだろうか? 自分が彼を好きではなくなったら、彼が自分を嫌いになったら、その時自分はいったいどうなってしまうのだろう――
 こんなに嬉しいのに、こんなに苦しい。やさしい腕、不思議と落ち着くぬくもり。
「何か用があったのではないのか?」
 五飛が訊ねると、食事のことを聞きに来たのだとトロワは言う。
「夜は何を食べたい?」
 それを聞いて、一日中食事をしているみたいだと五飛は笑う。
「おまえ」
 彼を全て自分の中に取り込んで自分を彼で満たしてしまえたら、こんなに悲しい気持ちにならなくてすむのではないか。ずっと一緒にいられるようにしたら、こんなに苦しくならずにすむのではないか。
「だが、それでは寂しくなるな…」
 彼の目に自分を映してもらえない。彼の声で自分の名を呼んでもらえない。彼の腕で自分を抱きしめてもらえない。それでは駄目だ。
「どちらかというと俺は食べる役の方が好きなんだが――」
 五飛の言葉の意味をしばらく考えてから、トロワは笑いをこらえて言った。五飛が自分のことを考えてくれるだけで、トロワとしては嬉しくて仕方がなくなる。けれどそんなことは五飛には理解されていないだろう。あふれそうな程の気持ちを、人は、どうやって相手に伝えているのか?
「ばっか者」
 お前のは食べるではなく抱くだろう、と五飛がまた笑う。
 そんな彼を見て、笑えるようになっただけいいと、五飛を抱く腕に力をこめた。
 わずかに生き残った街灯が、ぽつりぽつりと灯り始める。反対に明るさを失う空、温度を失う空気。
「中へ入らないか?」
「もう少し――」
 もう少し暗くなるまでここにいようと、五飛はトロワにもたれる。
 戦争による多少の影響は出ているものの、雲さえなければここでは満天の星を眺めることが出来る。それが目的で選んだ家だ。そして五飛はその星々の中に、今はもう存在しない故郷のコロニーを見る。
「風邪をひかないうちに入るからな」
 そうしてトロワは五飛のきっちりと纏められた髪に頬を寄せ、二人は暮れていく空を眺め続けるのだった。



 朝昼のニュースに比べ夜のニュースには深刻なものが多い。人類の置かれている苦境から目をそらしていたいなら、夜のニュースは見ないことだ。
 だがその日、シャワーを浴び終えたトロワが部屋へ戻ると、小さなテレビの前でソファに腰掛けた五飛はじっと画面に見入っていた。
 背を丸めて片膝を抱え込んだ姿は彼とは思えないくらい頼りなげで、どうしてしまったのかとトロワは数秒間その背中を見つめてしまう。それからテレビへと目を向けて、五飛の思うことを理解した。
 画面に映し出される瓦礫の山。その地域では民間人を巻き込んで戦闘が行われ、多くの犠牲者を出したという。ニュースの声はその中で生まれた戦争孤児たちのことを話していた。
 統一国家の福祉部門により、生き別れたらしい肉親の捜索、里親探し、保護施設の建設が行われる。しかしいまだ落ち着くことのない戦後の地球ではそれらは遅々として進まず、また、こうなったのも本来はコロニーのせいなのだから彼らに責任を取らせろという意見も出てしまう。宇宙空間での生活による影響か、少子化に悩むコロニーは少なくない。そこへ子供たちを送り込めばよいではないかと言うのだ。
「本人の意志などお構いなしだ」
 呟いて、五飛は目を細める。
 それはいったい誰のことを言っているのかと問いかけたくなって、トロワは五飛の前へ廻り込んだ。床へ膝をついて、ソファの上の五飛を見上げると、彼は何も映していないようなような目を画面へと向け続けている。
 どれほど悲しいのだろう、と思う。
 冷たい無表情は、泣き出す寸前のものなのだとトロワは気づいていた。五飛もトロワも普段はあまり表情を変えないが、それでも人並みに怒る時は怒るし、笑う時は笑う。けれどたやすく泣くことはせず、そんな時、トロワは悲しそうに目を伏せるだけだし、五飛はすべての表情を失うだけだった。
 思うより早く、トロワの手が伸びる。そしていつものように指先で五飛の頬に触れて、その目を自分へと向けさせた。
「なぜ俺と一緒にいる?」
 あまり口を開けずに五飛は問う。
「お前のそばにいたいからというのでは、理由にならないか?」
 告げるトロワと、しばらくの間見つめ合う。けれど五飛は答えず、そのまま一度瞬きをして違う質問をしてきた。
「お前はサーカスへ戻るのではないのか?」
「そのうち戻るさ。だがそれは今すぐじゃない」
「戻れる場所があるうちに、そこへ行った方がいい」
 そうして五飛はトロワの手を取り、自分の左膝へと下ろす。するとその手で逆に五飛の左手を握って、トロワは縋るように彼を見てしまう。こんな人形のような顔をされるくらいなら泣き崩れてくれた方がずっといいのに、と。
「いつかは戻る。そうしようとした時にもしもその場所がなくなっていたら、その時にはお前の言葉に従わなかった俺を責めてくれ。だが、今は戻らない」
 断言して、また見つめる。
 ぽろりと、涙が一粒こぼれた。
 左腕で彼を抱き寄せて、トロワは静かに目を閉じる。
「やっと泣けた……」
 呟く五飛に小さく肯き、そのまま声もなく泣き続ける彼を抱きしめている。
 次の話題に移るニュースの声。強くなった風が窓ガラスを揺らす音。色鮮やかな画面、少し暗い蛍光燈。冷めてくる自分の肌。体温を伝えてくる五飛の体。戦争で失われたもの、手に入れたもの。
 様々に思考をめぐらせて、トロワは自分の中にある精一杯の想いを込めて五飛の髪に口付けた。右腕をトロワの背にまわして五飛が抱きつく。
「やさしい人たちだった。厳しいけれど、暖かい人たちだった」
 強くなれと言い続けて自分を育て、そして消えていったコロニーの人々を想って五飛は言う。自分はその人たちと一緒にいくことはできなかったけれど、その代わり、生きるための術を学ぶ時と仲間とを得ることができた。戦いのためだけではない、自分で選ぶことのできる、生きる道。
 もっといろんなことを学んでから帰ろうと思う、と囁くトロワに何度も肯いて、五飛はゆっくりと体重を預けていった。



 夜明けになると、決めごとのように目が覚める。
 けれど今日は、自分から寄って行くまでもなくトロワの腕の中にいる。自分を抱きしめて眠りについたまま、彼は微動だにしていないようだ。
 器用な奴…
 微笑んで自分も相手の背へと腕をまわす。するとトロワの腕に少しだけ力が加えられ、指先が五飛の髪に触れた。
「トロワ」
 呼び掛けると、トロワは薄く目を開ける。
 少し考えてから五飛も同様に目蓋を上げ、視線をトロワの胸元へ固定したまま告げた。
「もう少し暖かい場所へ行こう。もっと――もっと日の光の強い場所へ」
 自分を照らす明るい光のある場所へ。
「一緒に暮らす家だな?」
 確認するように腕の中を覗きこむトロワに、五飛は微笑んだまま答えた。
「ああ、そうだ」
 もう一度抱き合って、心から笑えるようにと二人は祈った。

掲載日:2002.09.13


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