Pulse D-2

果 実

「グレープフルーツを…」
 何だ? と口にするのも鬱陶しくて、五飛は眉根を寄せながら相手を見遣る。部屋に入ってくるなり一直線に彼のもとへ歩いてきたトロワは、手にした布袋を五飛へと差し出しているところだった。
「もらったんだが、食べきれないんだ。よかったら食ってくれ」
 ほぼ予想通りの言葉に軽くため息。そんなことのためにわざわざここまで来たのか、こいつは。
「トロワ~、そういうことはお家でやってね~」
「すまないサリィ、急な公演が入ってしまってすぐに出掛けないといけないんだ」
「その辺に置いておけ。欲しい奴は適当に持っていけ」
 それだけ言って仕事に戻る。牽制を含んだ笑顔で言ったサリィ・ポォにもそれ以上の小言はない。横の机に袋が置かれ、
「3か月だ。終わったら連絡する」
「そうしろ」
 と、短い会話を交わしただけでトロワは去っていく。さほど大所帯ではないのでそれぞれの動きに注意を向けることは可能だが、誰もが忙しくしているプリベンターの執務室で部外者とは思えないほどよく現れるトロワの言動にいつまでもこだわる者など殆どいない。だが、
「変わったよなぁ」
 と向かいの席から声が届き、五飛は反射的に目を上げてしまった。
「何が」
「あいつ、昔だったらもっと粘っただろ」
 しばらく会えないからどうのこうのとか、2日に1度は連絡入れるからとか、そんなことを言っていつまでも五飛の邪魔をしていたじゃないかとデュオは言う。
「本当に時間がないのだろう」
「そーかなー」
 疑わしそうにするデュオは、そこから先、五飛をいかに冷やかすか、どう揶揄するか、どれだけ不安にさせるかを主な目的とした――と五飛には思えて仕方のない――方向に話を進めるのが常だ。
「釣った魚に餌はいらねえとか放っといたってどうせお前は仕事してるしかねえんだしとか、結構思ってるかもしれねえじゃん」
「それならそれで構わんだろう。何か不都合でも?」
 五飛は手元に視線を戻す。ここ2年間の紛争件数と規模とを映し出す資料の範囲を、地球のみからコロニーを含めたものに拡大する。際立った偏りは見られない。地球圏全体での武装解除を唱えた当初から考えれば少なくなってはいるが、未だに紛争はゼロにはならず、常時どこかでその計画が練られている。3か月、と期間のみを告げたトロワはいったいどこへ向かっているのか。
「つまんなくねえ? 寂しくねえ? 腹立たねえ? こっちは相変わらず好きなのにー、とか思ったりしねえ?」
「くだらんことを言うな」
 昔はこういうところでムキになって声を荒らげたりしたから面白がられたのだ。
「そうそういつまでも同じでは困る。もう15年にもなるんだぞ。それだけ経てば変わる部分もあって当然だ」
「まったく、そう願いたいものだな」
 デュオとは別のところから降ってきた声に、五飛は再度顔を上げた。デュオの背後に、彼らの上司であるレディ・アンが仁王立ちになっていた。
「お前はいつまでたっても無駄口が多いな、デュオ・マックスウェル。その時間と熱意を仕事に向けろ。ついでに少しは大人の落ち着きを身につけろ」
 へーいへい、と適当に答えるデュオの頭を小突く様子はそれこそ30になろうという男に対する態度とは思えず、見ている五飛にまたため息を吐かせる。だが同時に、15の時の戦いで死んでいても不思議はなかった自分たちが、倍の時間を過ごしてなお、過去・現在・未来の全てを考える余裕を得ていることに安堵を覚えもするのだ。
「まあいい。会議を始めるぞ、来い」
 言って踵を返そうとした彼女がふと動きを止めた。
「五飛、なんだそれは?」
「1つくれてやる」
「またトロワが来たのか」
「俺に文句は言うなよ。あいつはきちんと受付を通ってきているし、通して良しと許可を与えたのはお前のはずだ」
 トロワの残した袋に目を留めたレディに、先を制するよう五飛は言葉を連ねる。
「仕方あるまい。あいつはときどき面白い情報を持ってくるからな」
 肩をすくめる仕種をしてから、レディはすっと右手を伸ばす。
「1つもらおう」
 投げろ、と言うように手先を揺らす。何だ本当に欲しいのかと、五飛は少し意外に思いつつグレープフルーツを1つ取り出す。放ってやると、片手でうまく受け取ったレディはそれに鼻を寄せ、大きくひとつ息を吸った。
「これだけ置いてとっとと帰ったのか?」
「…そうだが」
「どっか出掛けるらしいよ。ろくに話もしないで1分で出てってやんの」
 そうか、と低く呟く。その目がゆっくりと室内を漂い、最後にぴたりと五飛に据えられた。
「すまないが、なるべく皆にも分けてやってほしい」
「もちろんそのつもりだ。一人でこんなに食わんぞ」
 内心首を傾げつつぶっきらぼうに答えると、何を思ったのか相手はわずかに目を細め、妙に優しげな笑みを浮かべたのだった。
「それはありがたい。だがな五飛、お前もいくつかはちゃんと自分で食べろ。それはトロワの気持ちだ。お前にも、我々にも、今はこいつが必要だ」
 そうして今度こそ背を向けると、早く来いよ、と言い置いてドアの向こうに消えた。
「…何だ、あれは」
 五飛の眉間に皺が寄る。んー…と小さく声にしながら、考えるそぶりでデュオが同僚たちの姿を見回す。
「多分さ、みんな疲れた顔してるって話じゃね?」
 もちろん俺も、特にお前が。
 目を合わせて言い添え、デュオは会議の資料を手にして立ち上がる。その背がレディ・アンを追っていくのを見送ってから、五飛は細く長く息を吐いた。
 右手に果物を1つ。黄色い表皮の凹凸となめらかさ。酸味を連想させるツンと張った香り。ときにくどいくらい饒舌な相手の言葉にのせぬ気遣い。
 3か月、と、もう一度胸の中で呟く。望む未来を実現させるために自分にできることがあるのを幸運に思う。
 無機質な机の上、明るい色彩の果実はこの日一日うれしげに五飛を見守った。

掲載日:2010.05.09


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