王子様と日向で
「伸? 入るぞ?」
返事がないのをいぶかしく思いながら、征士はゆっくり襖を開ける。部屋の中の温かな空気が彼を包む。その空気を逃がさないようにとすぐに入口を閉めた。
日曜午後の日だまりに眠る影。窓の形に四角く切り取られた畳の少しかすれた緑色。光との境目に座り込み、手にした紙袋を傍らに置く。
「伸」
もう一度呼んでみる。手足を投げ出し仰向けで寝息をたてる彼から答えはない。気持ちよさそうな姿に思わず浮かぶ笑みは、征士にとっては一握りの親しい相手にごく稀に見せるだけのものだった。
廊下から静かに声がかかる。伸の母親がお茶を運んできたらしい。
「おかまいなく」
もてなされるような仲ではない。それは互いに承知している。だから彼女も小さく頷き盆を手渡しただけで襖を閉めた。
征士は再び座り込む。今度は左足をラフに伸ばし、もう片方の膝を軽く曲げて抱え込む。その上に顎を乗せ幼なじみの寝顔を見下ろすと、日の射し込む角度が変わったのか瞼に当たるようになった光に、眩しそうに眉根を寄せたところだった。
「しーん」
声の調子が笑いを帯びる。伸はさらにきつく目をつぶり、それでも堪え切れずに腕で目元を覆う。そして、寝返りをうったところで征士の足に当たり低く声を上げた。
「ん?」
左手が辺りを探る。
腿に触れられてくすぐったい。
眉を顰めたまま薄く目を開く。
上からそれを覗き込む。
視線が合った。
考える間があり、伸は腕の中に顔を隠した。
「もう~、悪趣味だなぁ」
くぐもった声が言う。だが、言葉とは裏腹に笑っているらしいことを征士は感じ取る。
「何がだ? 勝手に部屋に入ってきたことか? 伸を起こさずくつろいでいたことか?」
揶揄するように尋ねてみると、伸は目だけ見せて答えてきた。
「寝顔見てにやけてたこと」
「にやけてなどいないぞ」
「嘘」
今度は顔を上げてはっきりと言う。
「今、すんごい笑ってたよ、君」
そうか? ととぼけてみせてから征士も咽喉の奥で小さく笑った。
「お茶きてるの?」
香りに気づいたのだろう。伸に聞かれて征士は盆へと身体を向けたが、言った本人は返事を待たずに身を乗り出した。征士の伸ばした足の上に乗り上げる。寝転がったまま茶をすすり菓子を手に取る様子はいかにも怠惰で行儀が悪いが、征士はあえて黙っている。曲げていた膝を伸ばすと、伸も自然な仕種で顎を乗せて大きく一つあくびをした。
「うちの女性陣からだ」
征士は紙袋を伸の鼻先に引き寄せる。
「ありがと」
にこりと笑った伸が袋を手にして身体を起こす。中から出てきたのは彼の欲しがっていた財布だ。征士の母・姉・妹からの誕生日プレゼントだった。
「僕も届けに行かなくちゃ。みんないるかな?」
いるように言ってきた、と征士は答える。
「どうも」
軽く頭を下げつつも伸はまた横になる。今度は征士の足は彼の枕だ。
「毎年悩むんだよね」
「何を?」
伸は両手を伸ばし、財布を頭上に掲げる。
「バレンタインのお返しをしに行きたいんだけど、誕生日のプレゼントをねだるみたいにもなっちゃうんだよなーって思うからさ」
「そんなことを気にする必要はないのではないか?」
どうせ向こうはねだられるのを楽しみにしているのだからと続けると、
「まぁそうなんだろうけどさ。今年はチョコ多かったから返すのもたいへんだったんだよ。君ならわかってくれるよね」
と言って、伸は財布を腹の上に下ろした。
「伸はプリンスになったからな」
は? と見上げる伸に、目だけで笑って口をつぐむ。
早耳の彼より珍しく自分のほうが先に知った彼の呼び名は『アラゴ銀座のプリンス』。小学生の妹から聞いた話では呼んでいるのはどうやら中学生以下らしいが、将来彼が駅前商店街のこの店を継いだ際にはプリンスはその権力をほしいままに行使するのではないかと思ってしまう。
「ちょっと、征士、何の話?」
答えない征士に、伸が肩で征士の足を小突く。けれどこんな姿は誰も知りはしない。征士も、彼の様子を誰にも話したりはしない。
そういう自分たちの関係に密かに少しの優越感を感じながら、茶屋毛利のおいしい茶を征士はゆっくりと口に含んだ。
掲載日:2009.02.23
カップリング未満です、すみません。
アラゴ銀座シリーズは征当ですけれども、このSSはシリーズ本編の8年くらい前のある日ですので、
まだ2人は当麻君には出会ってないんですね(笑)。
そういうのもたまには書いてみたいのでした。