Pulse D-2

011. 答え

 元来は、はっきりと白黒をつけないと気の済まない質(たち)だ。征士は自分のことをそう思っている。そしてそれは、一緒に暮らす当麻も同じだろうとも考えていた。
 自分は善悪を区分したがり、当麻は正誤を決定したがる。自分は常識と道徳とで物事をはかり、当麻は法則と合理性で筋道を立てる。
 行き着く先が異なることは珍しくなかった。ただ、正反対の結論を出すのでもなかった。九〇度違う、とでも言うべき相違になるのだ。
「そういうことじゃない」
 当麻は言ってから、必ず前髪を掻き上げる。説明の言葉をもみ出そうとでもするかのようにこめかみを押さえ、眉根を寄せて征士を見る。同様に難しい顔をした征士が見返すと、じっと二、三秒視線を合わせてから、すっとそらして顎に右手を添える。そうして黙したまま壁を見つめる当麻に、征士はふと、今現在論じているのとは全く別のことを思って軽く首を傾げた。
 何だろう、この感覚は。
 そこには不思議な『間(ま)』があった。
 理論であれ感性であれ、当麻は論述のための手法を選ぶのが得意だ。答えに到達するまでの時間も短い。素早く論を展開していくタイプではない自分を説き伏せることなど容易いだろうと征士は思うのに、それをしない当麻が不思議だった。
「何を、考え込んでいるのだ?」
 声に目を上げ、当麻が質問の意図を探る。
「即答はお前の特技だろう」
 続けて言うと、二度瞬いてからやや照れ臭そうに当麻は口許を歪めた。
「俺もな、学んだんだよ。適当なこと言ってお前を説得するのは簡単だけど、それをやると後々まで俺がいやーな気分になるって」
 他の奴だとそうでもないんだけどと呟く当麻を、征士は静かに抱き寄せた。
 腕の中で、当麻が笑う。その中にあるたくさんの答えを、自分もまた、丁寧に捉えていこうと思った。

掲載日:2004.04.25

012. 音楽

「当麻って、音痴だね」
 かつて、面と向かってはっきりと、伸にそう言われたことがあった。自覚があったので特別反論もしなかったが、ムッとしたのは確かだった。
「気にするな。私も別に上手くはない」
 珍しくなぐさめるような言葉を征士にかけられたことも、当麻は覚えている。
 そんな昔のことを思い出すのは、何の気なしに鼻歌を歌っている自分に気付いた時だ。
「随分と機嫌が良いのだな」
 征士の声に手を止めて、当麻は彼へと目を向ける。
「なんで?」
 尋ねると、鼻歌が出ていることを指摘して征士はうっすらと笑う。
「あー…またやったか――」
 当麻は『失敗した』という顔で呟く。だがすぐに、その理由が分からないらしい征士に苦笑を濃くして説明を添えた。
「だーってさ、俺の歌、上手くないだろ?」
 すると、征士は一度軽く眉根を寄せてから言う。
「鼻歌に上手いも下手もあるものか」
 そうして、自分の意見を言おうと口を開き掛けた当麻を遮って、更に言葉を繋げた。
「私たちは音楽家ではないのだから、歌の得手不得手など気にする必要はないのだ。何より――」
 そこで切り、僅かに目を逸らす。当麻が首を傾げて顔を覗き込み、先を促す。征士は視線を一瞬だけ合わせてから口にした。
「お前が楽しそうに歌っていれば私は嬉しい」
「……おっ」
 一拍置いて、当麻は気を取り直す。
「お前、そこで照れるなよっ!」
 こっちこそ恥ずかしいだろうが。
 思いながらも笑いがこみ上げ、当麻はからかうように目を細めると、征士の耳元に小さく口づけた。

掲載日:2004.04.26

013. コンタクトレンズ

 当麻の視力が極めて低いという事実に、トルーパーとして戦っていた頃の征士は全く思い至らなかった。それを本人に言ったところ、
「ああ、今までは見えてたんだ」
 と、当麻は軽く返してきた。急に目が悪くなったということではない。それまでは鎧の力で補われていたという意味だ。自分の回復力や治癒力が増していたのと同じことだろう、と征士は解釈した。
 だが、頭では分かっても、実生活の中では驚くこともたびたびあった。見えているものと思って話していたのに実は相手には少しも見えていなかったり、時折目にする眼鏡姿に新鮮さを感じたり。中でも、突然、無言のまま涙をこぼすのにはいつまでも慣れることができず、そのたびにぎょっとしたものだった。
 目が痛いなら痛いと、ゴミが入ったのなら入ったのだと言えばいいものを、それら一切無しで泣いたあたり、当麻の方でも自分の反応を楽しんでいたのだと、十年以上経ってからようやく征士は気付いたのだった。
 その当麻が、床にぺたりと座り込んだまま征士をおざなりに手招いている。
「何だ?」
「いいから座れって」
 溜め息まじりにリビングを横切り、言われるままに隣に腰を下ろす。すると、当麻は征士の膝に手を掛け、屈み込むようにして見ていた新聞から顔を離し姿勢を正した。
「当麻…」
 記事を読み続ける当麻に声を掛ける。
「私をコンタクト代わりにするのはやめて欲しいのだが」
 言われた当麻がにやりと笑う。
「あ、バレた?」
 ばれるも何もと脱力する。それでも、鎧の力を失った当麻が、自分の中に残るその力と自然に向き合ってくれることに、感謝にも似た思いを持たずにはいられない。
 そして、これは一生続くのだろうかと、征士は少しだけ未来を想像した。

掲載日:2004.04.27

014. 白紙

 ピッ、シャッ、クシュッ。
 また一枚、当麻は丸めた紙を投げ捨てた。小一時間もこうしているだろうか。まるで巣作りのように彼の周囲に紙屑が散っていた。
 ちらりと壁の時計を見遣る。やばい、いい加減、征士が帰ってくるな、と思う。
 仕事に行き詰まった時など、当麻はこんな状態になることがあった。わざわざリビングに陣取り、綺麗な白い紙の上に文字とも絵ともとれない線を描きつつ、いいアイデアが浮かぶのを待つ。
 その、うすらぼんやりした態度が当麻らしくなくて落ち着かない、と征士は言うが、それ以上に、散らかった部屋と資源の無駄遣いに苛立つのだろう。見つかると、もれなく説教が付いてくるのだった。
「当麻っ、またお前はっ!」
 案の定、帰るなり征士が目を吊り上げた。
「許せよー、今だけだってー」
 弱り目に祟り目。力なく言い返すと、ぺんっと一度、頭をたたかれる。だが、かばんを手にしたままの征士はそれ以上何も言わず、足元の紙を一枚掴むとそれをテーブルの上に広げ、当麻の手からペンをひったくった。
 白い紙に、長短の黒い線が書き込まれる。
「何だ…?」
「山折りは実線、谷折りは点線」
 答えた征士に当麻は吹き出した。
「おっ前がやるか、そーいうことっ」
「私はやらん」
 じゃ誰がやるんだ? と尋ねると「遅筆なライターだ」と返してくる。そして、仕事仲間かと納得する当麻を残し、征士は自室に姿を消した。
 紙に向かい、続きとばかりに線を入れていく。名案は浮かんではいなかったが、気分が浮上していることには気付いた。
『かまって欲しかっただけかもな』
 そう思うと自分でも笑えた。
【すいませんでした。もうしません】
 紙の裏に大きく書く。ゴミを捨てる音が、低くそれに続いた。

掲載日:2004.04.28

015. 雑踏

 はっとした。
 ホテルのロビーから外へ出ると、そこには予想外に、行き交う人の波と季節に合わない暑さが待っていた。
 一体どこからこれほどの人が集まってくるのか。ふだんは何とも思わずに過ごしているのに、こうしてふとした瞬間に気付いてしまうと、何か妙に胸をざわつかせるものがあった。
 随分と遠くへ来てしまった。
 そんな気がする。
 幼い頃から過ごしてきた実家にしても、皆で暮らした柳生邸にしても、人ごみとは無縁の静かな場所にある。自分自身もそういう所のほうが好きなので、こんな混雑した街で暮らすことになるとは思っていなかったのだ。
「何故なのだろうな」
 呟き、それから征士は気を取り直して歩き始めた。
 駅方面へと向かううちに街灯がともり始める。暗く翳り掛けていた人々の姿が再び活気づき、同時に彼らの声や足音までもが大きくなったように感じられる。
「遅れるから、そう、今…にいるから…」
 携帯電話で話す声につられるように腕時計を見遣る。自分も少し遅れそうだと思う。
 征士は時間にはかなり正確なので、待ち合わせに遅れたりすると相手は結構心配する。電話をしようかとも思うが、人前で話をするのも好きではなく、また、プライベートな待ち合わせなので急いで行けば大丈夫だろうかと思う気持ちもあり、足を速めるにとどめた。
 だが、そうして行き着いた先で相手を見つけた瞬間、周りの雑踏が一遍に消え失せた。
 当麻が、手にした携帯を見下ろしていた。少し不安げに目を細め、小さく溜め息を吐く。それからふっと顔を上げて、近づく征士に笑みを浮かべた。
 ああそうか、と征士は思い至る。
 彼と暮らすために選んだ街だった。故郷を離れても、優しい時間を失っても、当麻と共に生きることを望み、そのために選んだ場所だった。
 遅れたことを詫びると、当麻はいたずらっぽく笑ってから許す。そうして今度は、二人揃って街のざわめきにまぎれた。

掲載日:2004.05.05

016. 池に映った

 仕事柄、家に籠ることが多い。外出しなくても当麻には殆ど不都合が無いのだ。
 それでも、全く外の空気を吸わなければ息の詰まることもあるし、少しは体を動かしたほうがいいだろうかと思うこともある。そんな時、当麻にはいくつか好んで出かけていく場所がある。その一つが公園だった。
 都市の中に意図的につくられた緑地。細い歩道、散在するベンチ、大小二つの池と噴水。当麻は、その中の小さな池が好きだ。
 大きいほうには鯉や亀、数種の水鳥がいるが、小さい池のほうにはそういった派手な生き物はいない。その代わり、細かな水草が浮かび、メダカ程度の大きさの魚が多数泳ぎ回る。二つの池では違う深さから水を揚げているのだと聞いたことがあるが、どうやら小さい池の水質のほうが良いらしい。
 この池を、「今日は何がいるかな」と覗き込むのが好きなのだった。
 晴れている日にまず見えるのは、当麻自身の影だ。一度、ぱっと魚が散り、やがてまた澄まして影の中を泳ぎ出す。水面、水中、草の蔭と、じっくりと見ていくのが常だった。
 そのうちにすっと空が曇った。水面に映る雲を見つめる。隠されている太陽の輪郭まではっきりと見えている。
「早く晴れろ晴れろ」
 小さく口にしながら待つ当麻の頭の上に、突然、よく知った顔が現われた。
 さっと太陽が顔を覗かせる。池の中でも金髪が輝き、その下に綺麗な微笑が見えた。
「おーう、おかえり」
「ただいま…ここは家ではないがな」
 水面で目を合わせ、二人は軽く会話する。笑って当麻が顔を上げると、征士が背を起こして横に立った。
『やっぱり実物のほうがいいか』
 今さらながらに確認する。そうして、征士の手にした買物袋を一つ掴むと、当麻は先に立って家を目指した。

掲載日:2004.05.06

017. もういない?

 お前の中に、私はもういないのだろうか。
 暮れていく夏の日の中で、征士はぼんやりと庭を眺めながら思う。
 池の側に座り込んでいた当麻を、あの樹の下に二人並び立って話し込んでいた日を、自分はこんなにも鮮明に覚えているのに、今ここに当麻は居らず話すことも姿を目にすることもかなわない。
「達者にしていれば良いが」
 口にしてから自嘲する。
『心にもないことを』
 願っているのは当麻の無事ではなく、元気な彼にもう一度会えることだ。
『探したら、お前は怒るだろうか?』
 探すなと言われたことが胸に引っ掛かり、征士は僅かに俯いた。
「お兄ちゃん、またあっ」
 そこへ妹の声が届く。話しながら廊下を近づいてくる。
「もうー。何だか知らないけど、ますます年取ったって感じ」
 随分な言われようだが、兄の覇気が足りないとずっと気にしていることを征士も知っているので、何も言わずに聞いている。すると、
「あ、そうだ。今年は羽柴さん、遊びに来ないの?」
 と、不意に思いついたように尋ねてきた。
 征士は息を止める。何かが胸の内側から溢れて来そうで、口を開くまでに間があいた。
「無理だろう。日本にいないのだ」
 征士の答えを聞いて、手伝って欲しい課題があるのにと、残念そうに口をとがらせる。彼女のそんな素直さがまた、わがままを言う時の当麻を連想させた。
「私が手伝ってやる」
「え、ほんと?」
 嬉しそうに目を輝かせながらも、珍しいこと言うのね、と彼女は笑う。
「当麻の性格がうつったのだろう」
 本当にそうなら良かった。それならきっと、迷うことなく彼を探しに行くだろう。
 思い巡らす征士の胸に、りん、と一つ、風鈴の音が響いた。

掲載日:2004.06.09

018. 冴えたやり方

 料理をするのは別に嫌いじゃない。――時間とやる気さえあれば。当麻にとって自分で調理することは、化学の実験に似た趣を持つ。きっちりとした手順・材料・器具。レシピは一度読めば頭に入る。あとはそれに従って作るだけ。万事OK、ノープロブレム。
 ところが、やってみると勝手が違う。レシビ通りにいかないことは多々ある。焦がしたり、ひっくり返すのに失敗したり、材料そのものの味が悪かったり。比較的何でも器用にこなす方だと自分では思っているので、妙に不味いものが出来た時はショックだ。
 だが、何より当麻の癇に障るのは、食材の在庫のメモを見て出勤し、必要なものを買い足して帰宅し、手早く美味い夕食を何でもないことのように作る男が目の前にいることだ。確かにそれはありがたいことではあるのだが、自分の失敗の直後にそれをやられると、無言のうちに無能呼ばわりされたようで気持ちが荒むのだった。
「お前さ、いつの間にこんな料理上手のやりくり上手、今すぐにでもお嫁にきて~、な奴になったんだ?」
 食器を出し掛けていた手を止めて、征士は当麻を振り向く。そして微かに眉をひそめてから、軽く当麻を睨んだ。
「お前は、ありあわせのもので済ませることばかり上手くて、自分ではろくに料理などしないではないか。一緒に暮らすようになってからの三年間、誰が二人分の食事を作ってきたと思っているのだ」
「すいません、征士さんです」
 即答する当麻を再び征士は睨む。だがそれに、当麻は小さく口の端を上げた。
「でも、かっこいいって」
 征士は面食らったように口を結び、複雑そうに首を傾げて当麻から離れた。
 当麻は可笑しそうに笑う。そして、そんなふうに征士を変えられる自分はもっと冴えてるじゃないかと、決して口には出せないことを密かに考えたのだった。

掲載日:2004.06.09

019. 方程式

「お前って、方程式みたいだよな」
 何のことだか分からず、眉根を寄せて黙り込んだ征士に、
「最初から答えが用意されてんだよ、お前の中には」
 と、当麻は告げて、背を向けた。
 どういう経緯でそんな言葉に至ったのかはもう覚えていない。その後、二人の間に会話があったのかどうかも定かではない。
 ただ、いつでも答えが用意されているのは当麻の方であろう、と思ったことだけは覚えていた。
 何を言ってもさっと答えを返してくる当麻の、聡明さと自信に満ちた姿が好きだった。
 こうと決めて、ひたすらそれに向かって進む自分とは違う、柔軟で切り替えの早いものの捉え方と考え方が好きだった。
 彼の手の中にこそ、いつでも切り札がある。そう感じていたのだ。
「くっそー、見つからねえ」
 苛立たしげに頭を掻きながら、当麻がリビングへとやってくる。先程から騒がしかったのが探し物をしていた為だと征士は知る。
「探すのならば、部屋の中よりもお前の頭の中を先にした方が良いのではないか?」
 言った征士のカップから、当麻は無言のままにコーヒーを数口奪う。そうして考えを巡らせた後に、ふいっと立ち去った。
 どうせなら連立方程式がいい。
 征士は思い、冷めたコーヒーを飲み干した。

掲載日:2004.08.29

020. 没頭

 午後早くから、征士はずっと難しい顔をしている。手には仕事関係の書類を持ち続け、当然、目もその紙面へと向け続けている。
 明るく晴れた秋の休日。当麻の方は、次の仕事が始まるまでの数日間を、ただのんびりと過ごすつもりでいる。今日はパソコンもなし、面倒くさい専門書もなし、と昼前にベッドの中で決めてから起床したのだった。
 自分が問題を抱えていない分、征士の周りの張りつめた空気が気になるのかもしれない。自分が時間に追われていない分、眉根を寄せて電話に応える様子がせわしなく感じられるのかもしれない。けれど、こんなことは今までにもあった筈だ。征士が仕事で忙しくしているのは今に始まったことじゃない。
「ワーカホリックじゃねえの?」
「お互いさまだ」
 という会話も何度か交わしたように思う。
 何が違うのか。もう一度考えてみる。そして、自室からノートパソコンを持ち出したのを目にしたところで、別の疑問が浮かんだ。
『なんで、自分の部屋でやらねえんだ?』
 とても珍しいことだった。
 当麻が考えに詰まって自室の外へと仕事を持ち出すことはあっても、征士が二人の共有スペースに仕事を持ち込むことはこれまで無かったことなのだ。
 何か、より深刻な事態になっているのだろうか、そりゃ気の毒に。一応こんな考えも持ちはするが、それでも、脇目も振らずに取り組む姿は悪くないなと思ってしまう。
 そしてまた同時に、気づくこともあった。
『そっか、俺もずっとこうだったんだ』
 少しだけ余計に疲れていて、少しだけ余計に征士の気配が恋しくて、部屋から出てくるけれど結局やるのは仕事だけ。そんな時も、黙って傍らに飲み物を置いてくれた征士は、何を思って側にいたのだろう?
 当麻はそっと席を立つ。久しぶりに、サイフォンでコーヒーをいれようと思った。

掲載日:2004.10.03

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