Pulse D-2

021. 色

 当麻というと、ふだんは青い色のイメージを伴う。髪や目、彼の纏っていた鎧の色。智将天空の空の印象からも、透き通るような青から濃紺まで、多彩な青を帯びた彼が連想されるのだ。
 けれど、実際に彼に触れた時、征士が感じるのは空の青ではなかった。もっと濁りを持った、それでいて鋭く射るような輝きを秘めた青銀が、征士の中に広がるのだ。
 青銀の風――それは、共に戦った日に感じていた当麻の力だった。彼の放つ矢の軌跡、彼の統べる意思の流れが、征士の意識の底には映り続けていた。
 多くのものを取り込むが故の濁り。そして、そこから望む力を創り出すための輝き。征士は、そう理解していた。最も望ましい『天空』の在り方だと考えていた。
 ところがある時、その変化に気付いた。
 阿羅醐との戦いを終えて、平和な暮らしに入った後のことだ。
 何かにつけ触れ合っていたのは、戦士の時からの名残りだけではなかった。単なる癖だけでもなかった。お互いの存在をしっかりと認識し、相手に対して抱いている感情を自覚し、その上で、可能な限り近くに在ろうとしていたためだった。
 青い髪を指先で弄ぶ時も、軽く唇同士を触れ合わせる時も、青銀は変わらずそこにあったのに、二人きりの柳生邸で吐息を重ねたその夜、征士の中に吹いた風は銀を帯びてはいなかった。
 限りなく透明に近い、スカイブルー。
 混じりけのない清澄さを感じさせるその色は、まっすぐに、征士にだけに向けられた、当麻の心を示す色だった。
 驚きと共に、胸を静かに焦がす想い。
 この色をいつまでも感じていたい。むしろ、溶け込んでしまいたい…。
 ひっそりと思いながら、征士は身体を重ねていった。

掲載日:2004.10.19

022. 曇りガラス

 冬の近づく午後、屋根裏部屋は冷え込んでいた。寒い、と当麻が言うと、征士は部屋の隅に置いてあった当麻の毛布を被って抱きつく。何とも征士らしくなくて当麻は笑った。
 部屋には小さな天窓があった。外からも見える飾り窓とは別に、単純に屋根の一部を四角く切り取っただけの採光用の窓だ。
 毛布にくるまり、征士を背もたれにする形で床に座ったまま、当麻はその窓を見ていた。空は晴れていて、薄い雲が細くガラスの向こうを横切っていた。
 ふと、窓でありたい、と思った。
 小さくても、光に対して開かれた窓。そこを通って光が他者へ到達することのできる一つの窓でありたいと。
 けれど、自分の窓には曇りガラスがはめられている。光を鈍らせる邪魔な要素。征士の心を曇らせる、邪魔な自分…。
 言えば怒るだろうか。馬鹿なことをと呆れるだろうか。それとも、何を根拠に言うのかと、悲しそうに抱き寄せて囁くのだろうか。
 可能なら、自分は曇りのない目で見たいと思う。まっすぐに見つめてくる目を、しっかりと掴んでくる腕を、気遣って自分を庇う背中を。それが、許される限り。
 小さく呼ばれる。軽く振り返る。微かに唇が触れ合う。
 きっと、征士は知っている。相手の心に迷いがあることを、彼はいつでも気づいてしまう。それでも、征士は当麻を責めない。当麻の秘めた不安をすり抜けて、穏やかな光で彼を照らす。
 ふっと笑って当麻も応える。
 今はまだ少し臆病でも、この想いは手放さずにいよう。
 そしていつか、この曇りも晴れる時が来るだろう。二人で、ガラスを交換する時が来るだろう。
 天窓の隅に太陽が掛かる。二人を包む毛布の端に、柔らかな日差しが舞い降りた。

掲載日:2004.11.23

023. 森

 木々に囲まれて過ごすことはこれほど心地好いものだったのかと、戦いを終えてから改めて征士は思ったものだ。
 実家の側にある森といえば、神社を取り巻く鎮守の杜が浮かぶ程度で、山や森よりは広がる田畑の方が征士には身近だった。だが、皆で世話になることになった柳生邸は小高い山の中にあり、夜には暗い森に葉擦れの音と夜行性の動物たちのざわめきが満ちる。しかも、いつどこから敵が現れるかもわからないのだ。どうしても、夜になると緊張が増した。
 一方で、日の光を弾いて輝く緑に、不思議な活力を得ていることも意識していた。それを次第に感じなくなっていったのは、知らぬ間に心身共に疲弊していたからだろうと、今なら彼にも分かる。だからこそ、戦いから解放されて、再び穏やかな安らぎを感じることができているのだろう。
 そして、それは自分だけではないと、大樹の根元に見えてきた人影に征士は微笑む。
「当麻」
 呼びかけても答えはない。静かな寝息が風に運ばれていくだけ。
『当麻が探してたぞ』
 と秀に言われ、外出先から戻ったその足で征士は彼を探しに来たのだったが、どうやら昼寝のための枕が欲しかっただけらしいと眠る当麻を見て征士も知る。
 同時に、ようやく何も恐れずに一人で眠れるようになったのかと、安堵と小さな喪失感とがないまぜになった想いを抱く。
 これはどう扱うべき気持ちなのだろうか?
 大切にしていきたいあたたかな想いと、目を背けたくなるような独占欲。当麻に対する感情はいつか、自分たちの関係を歪めるのではないだろうか。
 いっそのこと、何もかも飲み込む深い森に閉ざされて、このままどこまでも静かな眠りの中に落ちていけたなら…。
 少しだけ現実を遠ざけて、青い髪に口づけた。

掲載日:2004.11.24

024. 何もしない時間

 長い時間ぼーっとしている征士の姿を見てみたいというのは、当麻が長年思っていることの一つだ。
 当麻の知る征士は、大抵澄まし顔で何がしかの作業をしている。遠くを見つめている時でさえも、考え事をしているのが分かる。そういうこと一切なしで、目を開けたまま眠っているんじゃないかと思うようなぼんやり征士というのを見てみたいのだ。
「なぁ」
「何だ?」
「いいからそれ置いて、こっち来てみ」
 眉根を寄せて征士が歩いてくる。手にはよく乾いた洗濯物。働き者だなぁと他人事のように眺めるが、半分は当麻の衣類だ。
「何にも考えねぇで半日くらい、俺と一緒にぼーっとしててみねぇ?」
「そんな無駄なことをしている暇はない」
「いや、そうだろうけどさ、そこを何とか」
「馬鹿者」
 くだらんことを言っている暇があったら食品の買い出しにでも行ってこい。
「愛のないこと言うなよ」
「こんな時ばかり愛情を乱用するな」
 だがそこで、急に思いついたように征士は言う。
「お前は昔からよくぼうっとしていたな」
「は? 昔って…あ、言わなくていい」
 先を尋ねかけて、はたとそれを止める。
 当麻にも思い当たるふしがあった。
 暇だったのは確かだが、ぼんやりしていたからといって何もしていなかったわけではなかった。実際には、目で追うのに必死だったのだ。――そう、征士の姿を。
『ほんとに俺かってくらいかわいい話だな』
 苦笑と呆れと恥ずかしさを噛み殺して、当麻はむっと押し黙る。
 そうして彼が照れ臭い過去を思い出している間にも、征士はさっさと自分の衣服を手にリビングから姿を消していた。

掲載日:2004.11.25

025. 強弱

「おかえり」
 玄関の扉を閉めて、漸く征士は口にした。
「…ただいま」
 答える当麻の僅かな躊躇を吸い取るように、静かに口づけて抱き寄せる。
 記憶より、少しだけ硬い身体。自分と同様に、伸びている筈の身長。首筋に触れてくる指先も、多分あの頃とは違う表情を持っているのだろうと征士は思う。
 何故離れたのか、どうして一方的に別れを告げたりしたのか。それを話した時の当麻の涙を思いながら、征士はキスを深くする。
『何故私はあの時、もっと強く問い質さなかったのだ』
 当麻が別れを切り出した時に、本当はもっと自分らしく強気に出ていれば良かったのだと、涙する当麻を見て自分自身に対する怒りを覚えた。そして、もう決して諦めるものかと誓ったのだ。
 待つな、と言った当麻は、けれどこうして今、征士のもとへと帰って来た。恐らく幾度も考え直し、他に類の無いほど迷いながら。
 自分の気持ちを殺してでも、他人の願いを優先させるか。他者の希望を踏みにじってでも、自身の想いを貫くか。その狭間で悩む当麻を征士は誇らしくさえ思う。だが、失うものと得るものの価値が、つり合わないことを知った征士は言ったのだ。
『お前を失いたくない。それが私の望みだ』
 目の前の強さ、隠された弱さ。
 自分たちはそうあろうとしていた。常に、強くあれと。
 しかし、違う姿を征士は選んだ。
 見えない強さ、触れ合える弱さを。
 弱い自分をさらしても、奥深く強くなれる生き方がある。
 深く息を吐き瞼を上げる。
「俺の…俺の望みも、お前と同じだ。もう、どこにも行かない」
 力ある瞳を向ける当麻に、征士は深く頷いた。

掲載日:2004.11.26

026. とりあえず

「ま、とりあえずな」
 こう言うたび、征士が少しだけ難しい顔をするのを当麻が意識したのは、高校三年になったばかりの頃だった。
「何か、不満か?」
 尋ねると、征士は何のことかと首を傾げる。
「とりあえず、ってのが嫌いなのかと思ってさ」
「ああ…そうだな。あまり好きではないかもしれん。適当にあしらわれたような感じがするのだ。その場限りの、逃げを打たれたような気がするのかもしれん」
 征士は悩みながらも口にする。だが、当麻は片手を腰に当てた『講義のポーズ』で言い聞かせる。
「原義は違うだろ。『取るべきものも取らずに』なんだから、他をさしおいてでも先にします、ってことだろ。最優先にされてんのに何が不満なんだよ。お前、意味、取り違えてるだろう?」
 いや、でも、俺も違う意味で使ってんだけどな、とは言わずに、ますます難しい顔になった征士を見ている。
「そう――なのだろうか?」
「あっれ…何だよお前。俺のこと信じてねーな?」
 詰め寄る当麻に、征士が溜め息を吐く。
「信じていないわけではないし、言葉の意味としてはお前の言う通りなのかもしれんが、お前は事実を都合よく付けたり削ったりしながらぼかして言うところがあるからな」
「…んだよ、やっぱ信じてねえんじゃん」
 軽くふくれてみせるが、一方で当麻は思う。
『うわっ、ばれてんじゃん!』
 だからごまかすように言ってみるのだ。
「でも、最優先にしてんのはホントだって」
 これで多分、機嫌が直るから。
「ま、とりあえず、な」
 ふふん、と鼻で笑ってみせてから呆れ顔の征士と目を合わせ、二人で小さく吹き出した。

掲載日:2004.11.27

027. 素肌

 当麻の細い身体が、征士はとても好きだ。
 ぎすぎすに痩せているというのとは違うが、食べる量に比して肉がつかないのは勿論のこと、弓を引いていた頃ですら最低限必要な分の筋肉しかついていなかったことを、征士は「当麻らしい」と感じていたのだ。
 だが、どうやら本人の気持ちはそれとは異なるようだと、やがて征士も気づく。時折、不満そうに自分の身体を見ている当麻を目にしたからだ。そして今、
「待て!」
 の言葉で始まった当麻の行動が、同じ思いに基因しているらしいことを知る。
「……当麻……煽らんで欲しいのだが……」
 Tシャツを脱いだ征士の背を、当麻の掌が這っていた。肩から肩甲骨へ、窪みを親指でなぞってから背の中心へ。緊張した腰から引き締まった脇腹へ。
 そうして前へ回ってきた手を征士は捕まえる。左肩に顎を乗せ、当麻がぼそぼそと喋る。
「着痩せってほどじゃねえけどさ、お前、服着てない方が絶対いい体に見えるよな。俺、何やってもろくな筋肉つかねぇからさ、お前みたいな『鍛えてます、使ってます、でもそういう主張は致しません』って体は羨ましいんだよ、実はさ」
 征士は軽く溜め息を吐いて振り返る。
「私は…好きだが」
 真面目な顔のまま、シャツの上から脇を撫で下ろす。
「筋骨逞しくなくとも、取り立てて非力なわけではない。無駄な肉が無いことはお前の合理性に適っている。それに、筋肉隆々のお前など、私は想像したくもない」
 本気で言い切る。それから、可笑しそうに口許を歪める当麻の、ルーズに裾を出したランニングシャツの内側へ手を忍ばせる。
 素肌に触れるその瞬間の指先の緊張は消えることがない。触れた先の滑らかさと体温に、愛しさが込み上げるのも止めようがない。
「もう夕食だぞ~」
 だが、ふざけて笑う当麻の言葉は真実だ。
 悔し紛れに、薄い肉を無理矢理つねった。

掲載日:2004.11.29

028. 向こうから見たこっち

 ショーウインドウの大きなガラスに、二人の姿が映っていた。何か言いたそうな自分の顔から隣を行く征士へと目を移すと、ガラスの中で一瞬視線がかち合った。
「いや、俺たちって、どう見えてんのかな、と思ってさ」
 前へと向き直し、物問いたげな征士に答えて何気ない様子で当麻は言う。だが、その心中は少々複雑だ。
 違う制服に身を包みつつ、とても親しそうに歩く二人。きっとそれは、小中学校もこの地で過ごしてきた者たちならばそれほど珍しくもない光景なのだろう。すぐ近くに建つ高校へ進学した中学時代の友人同士が、偶然会って帰路を共にする、何でもない場面なのだろう。それに対して別のことを考える自分の方こそ、多分、意識しすぎているのだ。
 けれど、気になる。
 他人の目。世間の目。横から見つめる自分の目。
 別に何が嫌なわけではない。他の仲間や友人たちと歩くように、征士とも普通に並んで歩けばいい。当麻も分かっているつもりだ。
 それでも不満や不安を感じるのは、周囲に対して嘘をついているようで落ち着かない部分と、こんなにも自分の中で大きな位置を占める征士への気持ちを胸を張って表わせないことへの不甲斐なさとが、常に身の内で渦巻いているからだ。
 同じことを感じているのだろう。征士は、軽く当麻の頭に触れただけで歩き続ける。
『気にするな、とは言わないんだな…』
 例えば、ガラスの中の自分の目には、舗道を歩く二人はどう映るのか。その目を客観的に用いることができたとしたら、今の自分たちをもっと冷静に見つめることもできるのだろうか。その時見えるのは、友人か、恋人か。自分は、そして征士は、最後にはどちらを望むのだろう…?
 ゆっくりと想いを飲み下しながら、静かに一つ、瞬いた。

掲載日:2004.12.04

029. まぶしい

 静かな木々の間を征士はゆっくりと走って行く。大切なのは速さではなく、持久力と呼吸の確かさだ。だから急ぎはしない。
 柳生邸から周りの森へ。森を抜けて小さな湖へ。湖岸をぐるりと廻って別ルートで家へと戻るのが彼の決まりのコースだが、天気の良い日には、正直、水辺で休みたくなる。
 視界を遮るもののない湖上に広がるまぶしい空。朝の光を受けて煌めく湖面、輝く樹々の葉。新鮮な空気に包まれて、全てのものが愉快そうに見えてくる。それが不思議な程に嬉しい。そう感じる自分を照れ臭さと共に笑うのも、密かな日課になっていた。
 誘惑を押しやって家路を辿る。汗をかく身体に対し、耳と指先だけが冷えている。それでもまだこれから竹刀を振って、朝食前の時間を過ごすのだ。一人きりの静謐な時間を。
 だが思いがけず、彼を迎える姿があった。
「どうしたのだ、こんなに早く?」
 息を弾ませて尋ねると、あー、まー、何となくーと、森の入り口に立つ当麻が頭を掻く。
「さっきさ。カーテン開けて、外見ただろ」
 部屋でのことだろうか。征士は考えながら息を整える。
「すまん、それで起こしてしまったのか」
 それはいいんだ、と当麻は首を振り、
「目、開けたら、お前が嬉しそうに外見てたから、ああいい天気なんだなって」
 と言って空を見上げた。つられるように振り仰いだ空には、白く薄い半月が浮いていた。
「そういう中で寝てるのは最高に気持ちいいんだけどな」
 目を戻した征士に、楽しそうな声が届く。
「ほかより先にお前に会うっていうのも、それなりに気分いいかと思ってさ」
 そうして彼は目を合わせ、くしゃりと子供っぽい笑顔を作った。
 明るい朝の中、もっともまぶしいのは屈託なく笑う彼の存在。
「確かに良いな」
 征士も頷き、晴れやかに笑った。

掲載日:2004.12.05

030. 爪

「いっ…」
「あ、わりっ」
 小さく聞こえた声に、当麻は慌てて隣を見遣った。何気なく挙げた手が、征士の顔をかすめたのだ。見る間に頬に細く赤い線が浮かぶ。しまったと思いながら当麻が引っ込めた右手を、征士は少し乱暴に引き寄せた。
「爪が伸びているのであろう」
「切ってるって」
 眉根を寄せて指先を見る征士が、答える当麻の左手も掴む。
「何故、長さが違うのだ」
「聞くな」
 右手の爪の方が明らかに長い。
「変なところで不器用だな」
「ほっとけよっ」
 放っておけない征士が、爪切りを取りに立ち上がる。要するに左手で切るのが下手なだけなのだろうと思われたのは想像に難くなく、憮然としたまま当麻は待った。
「あのさ」
 パチン。小さく続く音と共に声を掛ける。
「ちょーっと気になるんですけど」
 当麻の言葉に征士は顔を上げ、彼の向こうに見えた二人へと怪訝そうな視線を向けた。倣うように当麻も振り返る。
「…何だ?」
「いやあ、なんかおもしれえ絵だなぁと思ってな」
 征士の問いに、笑いと呆れと困惑とが混ざったような複雑な表情をして秀が口にする。その横で遼も、大きく首を縦に振っていた。
「……見せ物ではない」
 低く言う征士に、当麻は笑いを噛み殺す。
「あぁまったく、僕にはいちゃついてるようにしか見えないよ。当麻も能があるなら爪くらい隠しときな」
 言いながら顔を見せた伸が、ご飯だよ、と続けてからまたすぐにキッチンへと姿を消す。
「能がありすぎるもんで、すいませんね」
 当麻は澄まして呟き、綺麗に整えられた指先でそっと征士の頬に触れた。

掲載日:2004.12.12

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