Pulse D-2

071. 幸福

 正月も三が日を過ぎると一般の企業は一斉に通常業務を始め、テレビでもラジオでもUターンラッシュが慌しく報じられた。
 そんな中、十一月の終わりから念入りな調整を行って他より数日多く休暇をもぎ取ってきた征士と当麻は、やや人気の少なくなった仙台城跡を訪れる。前日に降った雪がまだ少し残ってはいるものの、寒さよりも澄んだ空気の心地よさのほうが勝っていると感じられた。少しはこっちの気候にも慣れたかな、と当麻は小さく笑ってみせた。
「何となーく優越感~」
 こういうのは幸せだと、心の中で当麻は呟く。ゆっくりと静かに流れる時間も、天へと開け地をはるかに見下ろす明るい空間も、落ち着いた表情で自分を案内する征士も、すべて独り占めしているような気になる。
「優越感?」
「そ。お前が相棒でよかったなって」
 適当にごまかすと、征士は微かに驚いた表情を浮かべてからうっすらと笑顔を作った。
 まずはご挨拶、とばかりに護国神社へと詣でる。征士が願うのは、お互いと家族の健康と世界の平和だということを当麻は知っている。何かもっと欲はないのかと笑いたくなるのもいつものことだ。
 境内で売られているお守りは種類が多い。神頼みなど大して必要ともしないくせに、物を見るとついつい当麻は手を出す。その間に、征士は絵馬に何やら書いていたようだ。気づいて当麻も覗き込む。
【二人の永き幸福を】
 真面目さの窺える整った文字で、短い願いと日付、そして二人分の姓がきっちりと書き込まれていた。
「…馬っ鹿――」
 恥ずかしさと照れくささと、胸の痛くなるような嬉しさに襲われる。それでも、表情を崩さず言った征士に、軽く吹き出して平静を装った。
「この絵馬は書きにくい」
「似合わねぇもん使うからだろ」
 縁結びの板は、丸みの大きなかわいらしいハート型。
『似合わねぇけど…こいつのこういうとこ、たまんねぇ…』
 怪訝そうに見下ろす征士をそのままに、当麻はしばし笑い続けた。

掲載日:2005.10.12

072. クッキーの崩れる音

「あだっ…」
 玄関で当麻が何やら騒いでいる。転んだらしい音と共に聞こえてきた声は痛そうだったが、それ以上に続いた文句の方が大きかったので、征士は知らん振りを通して手元の本に目を落とす。
「すげー、やな音したー…」
 コンビニの袋を提げた当麻が、呟きながらリビングへと入ってくる。ソファの横に座り込み、眉根を寄せて床に中身をあけていく。
「何だその菓子類の山は」
 途端に征士の口から不穏な声が洩れた。
「あっ…」
 しまった、と当麻の顔が語っている。当麻の間食の多さを征士が快く思っていないことは、彼も知っている。
 一緒に暮らし始めた最初のころには朝夕の食事をないがしろにしてでもおやつを食べている形跡があったため、きちんとした食生活を望む征士はかなり厳しく改善を求めたのだった。その後、少なくとも二人揃って食事をとる時には、当麻もほとんど好き嫌いを言わず量的にもしっかり食するようになっていたので、注意した甲斐もあったものだと征士は思っていたのだ。なのに、と当麻を睨む。
「悪いっ、今日だけっ、許せっ!」
 察した当麻が素早く両手を合わせて征士を拝む。
「今日だけだと? 一度許せばずるずると後を引くのがお前の悪いところであろう」
 うわっ、そうだけど、と下手に出ながら当麻は征士の持っている本に目を向けて、あちゃー最悪、と呟いたようだった。料理の本を手に、征士は夕食の献立を考えていたところだったのだ。
「もう罰は受けてるからさ」
「罰?」
「ほら。この通り」
 当麻が、買ってきたばかりのクッキーの袋を一つ差し出す。これがどうしたのかと征士は首を傾げる。
「多分、全部ぼろぼろだ。そこで思いきり踏んづけた」
 転んだときに割ってしまったということだろう。
「俺のハート・ブレイクも察してやってくれ」
「何がハート・ブレイクだ…」
 呆れつつも小さく笑って、苦笑する当麻の頭を本の背で小突いた。

掲載日:2005.10.13

073. 無知

 当麻にとってわからないと思うことが日常的になったのは、トルーパーとして戦い始めてからだった。
 それ以前は、彼にとって得た知識を即座に理解していくのは自然なことで、わからないと思うより先に求める答えは手中にあった。他人の気持ちだけは思うようにならなかったが、よほど必要としない限りそれらは気にしないことに決めていた。
 ところが、戦いまでに得られると思っていた情報が一向に手に入らない。更に、戦いには不確定要素が多すぎ、謎は深まるばかりだった。
 わからないと思うことはわかりたいという思いを意味していた。それが仲間たちの心理にまで及んでいると気づくのに、それほど長い時間は必要なかった。
 知りたい、わかりたい。
 知ってほしい、わかってほしい。
 戦いを終えてからもその思いは消えず、征士との付き合いに関してはむしろ、大きく育っていった。
「別々の人間なのだ。理解できないと考えるのが大前提なのではないか?」
 小さな喧嘩の後に征士が言った。
 知らないと自覚することから知への道はひらける。『無知の知』というやつだ。
「お互いのことなど知らない者同士が共に暮らすのだ。多少の衝突はあっても不思議ではない。だが、それをそのままにしておくつもりは勿論ない。不満があるならば言え。希望はそのたびに伝えろ。私に可能な限り、お前の言葉は忘れずにいるつもりだ」
 知らないから知ろうとする。知ったなら、理解しようと努力する。努力することでより深く相手を感じることができる。そんなことはわかっているつもりだった。なのに、征士に言われて初めて事実として胸に届いた。
「…悪かったな」
「私もすまなかった。許せ」
 短い謝罪の言葉を告げれば、征士も深く頭を下げる。その姿に、その言葉に、もう焦って何もかもを知る必要はないのだと気づいて、当麻はほっと息をついた。
 征士の肩にもたれながら、ようやく本当に人を知ることができそうな気がしていた。

掲載日:2005.10.14

074. 通じてる?

 ほんの些細な出来事で不安になる。そんな時間を幾つも過ごした。そのたびに、自分自身の心とそれを取り巻く状況とをじっと見つめ、最後に、必死に気持ちを落ち着かせながら当麻の真意に思いを巡らせた。
 どう足掻いても、彼を好きだという想いは変えようがない。何度も何度も立ち止まりそうになりながら、当麻の存在そのものに勇気づけられて征士は前を見据える。
 けれど、そんな不安はやはり当麻にもあることを、本人よりも深く征士は感じ続けていた。
 ふっと、二人きりになった夜、胸の奥底に隠していた不安が口をついて出る。
「時々、お前と別れたほうが楽だなって、思うんだ」
 抱きしめた腕の中で、静かに静かに当麻が言う。似たようなことを自分でも思ったことがあると、征士は声に出さないまま胸の中で頷く。
「でもな…」
 続く当麻の言葉が、征士の胸元にやわらかく落ちる。
「……てるか?」
 俺の、気持ち。
 当麻の声はとても小さくて、音としてではなく振動として征士に伝わる。そして、それ以上に、征士の中に広がった澱みのない薄青が、当麻の正直な気持ちを悟らせた。
「大丈夫だ。全て――」
 通じている。
 言葉の代わりに口づけを落とす。
 まっすぐに、止めようもなく互いへと向けられる想い。どうにかしてこの関係を守り続けていきたいと願う強い気持ち。
『大丈夫だ、通じている。大丈夫だ、私も同じ思いだ』
 伝わることを祈りながら、優しく口づけていく時、当麻の中に響く音がどんなものなのか征士には知る由もないけれど、受け止める当麻の表情の穏やかさに、この時間がいつまでも続けばいいと思わずにはいられない。
「俺もさ…お前とこのままでいられたらって、思うんだ」
 そっと囁く当麻の目を、征士はじっと覗き込む。照れくさそうに細められる目と下がる目尻に、愛しさが込みあげてきて止めようがなくなる。
「お前の願いは、私の願いだ」
 ゆっくりと告げて、もう一度深く抱きしめた。

掲載日:2005.10.15

075. 見つけ出せ

 時折、どうしようもなく湧き上がってくる想いがある。当麻が初めてそれを自覚したのは、戦いの中、ひどく追い詰められた状況下でのことだった。
『なんで俺、こいつのことこんなに好きなんだろ…?』
 仲間意識と友情と、冗談はよせと思いつつも抱いてしまう恋愛感情。同じ部屋の三メートルと離れていないベッドで眠る征士へと感じる、少しずつ異なった幾つもの気持ち。
 深夜、その境界線を探る。
 このまま仲間で通すのが最も無難。友人として付き合ううちに、恋だと思っていたのが単なる錯覚だったと気づくに違いない。そう思うのに、自分を見つめるほどに思い知らされる。好きだと思う気持ちの強さを。彼を求める情の激しさを。
『こんなの、お前は知らないんだろうな』
 暗い部屋の中で、眠る征士を見遣りながら当麻は苦笑を浮かべる。
 知らないどころか、きっと彼は考えもしないだろう。たとえ征士自身、切羽詰まったように当麻を掻き抱くことがあっても、その内にある感情は全く別のもののはずだと当麻は思う。
『ちょっと…悔しいよな』
 感じるたびに胸が痛んだ。
 征士に触れる時、静かな安堵と同時にこの痛みもまた当麻に訪れる。征士の肩に凭れてうつらうつらする明るい午後も、不安に押し潰されまいとして抱きしめてくる征士の腕の中に収まる夕暮れ時も、征士の想いと同調する部分とは別に自分の心の中で暴れている感情を、当麻は感じずにはいられないのだ。
 征士の中にあるのは大きな後悔と根深い恐怖。当麻を失うまいとする思いと、守りたいと願う心。
 その気持ちだけで十分だと思ってきたはずだったのに、夏の暑さがやわらぐにつけ想いの熱さは増すようで、当麻は夜毎、自分自身との折り合いをつける方法を探す。
『見つけ出せるだろうか?』
 見つけ出すんだ。それとも……万が一にも、同じ想いを持つことがあるのだろうか――?
 命令とも願いともつかない言葉を胸に、当麻は一人、長い夜を過ごした。

掲載日:2005.10.16

076. 擦れて生じる

 当麻を特別に大切に思う自分の気持ちの出所を、征士は、出会った最初の時からの仲間意識と彼を守りきれなかったことへの後悔だと思っていた。
 悔やんでも悔やみきれず、ただひたすらに当麻の帰還を願った夜から、その気持ちは根強く征士を支配して離さない。それゆえの当麻への執着だと思っていたのだ。
 だからそれは、安心すれば消えていく思いだと考えていた。当麻が自分の側にいて、共に暮らし共に笑い、安らかな眠りと心の平穏を得れば、自ずと薄れていくものだと。
 なのに、触れ合うたびに強くなる、彼を離すまいとする想い。その中に綺麗なだけではない感情をも見出して、征士は自分をもてあます。
『増していく摩擦係数』
 そんな言葉が脳裏をよぎった。
 胸に生まれた想いは、それまでの征士には思いもつかなかった強い独占欲と渇望感。ざらりと手荒く心を撫でて、奥深く眠る欲望を呼び覚ます。
 落ち着かなげに重い息を吐き、征士は瞼を上げる。夜明けを迎えた部屋の中、眠る当麻に眼差しを向ける。
『認めよう、この想いを』
 いつもどこかで否定し続けてきたけれど。
 自分の中にある欲を、まっすぐ見つめてベッドを下りる。
『いつか、告げる日がくるだろうか』
 当麻に、この感情をぶつけてしまう時が来てしまうだろうか?
 告げたい心と抑えたい理性。相反する気持ちを抱えながら、征士はそっと当麻の髪に触れる。
 と。
 静かに、静かに、薄青い粒子が意識の中で輝く。
「当麻――」
 触れた指の先から、清浄なエネルギーが滑り込んでくるようだった。
 見る間に、征士の中の曇りが晴れる。触れ合う心が擦れ合い、澄んだ光へと変化する。きっと、当麻の中では同様に、小さな音が生まれているのだろう。
『焦るな。卑下するな。もっと大きく愛してみせろ』
 湧き上がる大らかな気持ちと取り戻した平常心を胸に、征士はやわらかく当麻の髪を梳いた。

掲載日:2005.10.18

077. 雨

 空梅雨に雨乞い。折り畳み傘と貸し出し傘。
 降れば降ったで疎ましがられ、降らなば降らなで悪態つかれ……
「ほんにこなたは気の毒に――」
 抑揚をつけて言ったところで、後ろから征士に声を掛けられた。
「何を芝居がかった独り言を言っているのだ」
 振り向くと、洗濯を終えた衣類を手にした征士が、呆れた顔をして立っていた。
「いや、さぁ…」
 聞かれていたことに少しばかり照れながら、当麻は言葉を濁して頭を掻く。
「雨、降んのかなーと思ってさ」
 窓へと向き直して見上げた空は、見事なまでの日本晴れ。普通なら雨が降るなどとは考えないだろう空模様だが、昼に聞いた天気予報は夕方には雨になると報じていた。
「信じられんが、そうらしい」
 伸もそう言っていたと告げて、征士が当麻へと、彼の分の洋服を手渡した。きっちりと畳まれたシャツからは、窓外の空気をそのまま写し取ったかのように温かい太陽の匂いが漂っていた。
「取り込むの、早くねぇ?」
 まだ外は明るい。日が暮れるまでにはかなり間がある。
「少し出掛ける。お前に頼んでも忘れられるからな」
「……賢明なご判断で」
 他は全員外出中の柳生邸。当麻には前科があるので言い返せない。代わりに、自室へ向かう征士の後について歩きながら、
「買い物か何かか? 俺も行ってもいいか?」
 と言ってみた。階段の途中で征士が振り返る。当麻はにやりと笑ってみせる。
「デート、ってことでどうさ?」
「別に構わんが。駅前の本屋に行くだけだぞ」
 本屋上等、と機嫌よく言うと、何かを探るようだった征士の視線がふっとやわらいだ。
「雨の中のデートか」
「そ。いつもの相合傘な」
「――傘は持っていけ」
 軽く笑い声を返して、先に階段を上り切った。

掲載日:2005.10.19

078. 凍った

「…んだよ、俺にも教えろよ」
 昼過ぎに起きてきた当麻は妙に機嫌が悪かった。
「何の話だ?」
 征士が首を傾げると、
「氷」
 と短く言い捨てて征士を睨み下ろす。随分と尊大な態度だなと思いはしたが、言葉の意味はわかったので征士は話を進めた。
「お前の興味の対象外だと思ったのだが」
「まぁ…そうだけど…」
 だけど? と征士は尋ねる。渋々といった様子で当麻が答える。
「自分だけ知らないのはむかつかねえ?」
 征士も少し考えてから、確かになと頷いた。
 日の暮れ始めた頃、二人は連れ立って外へと出た。目指すは、柳生邸を囲む森の中にある湖だ。
 この朝、征士は日課通り、一人静かに森の中を走った。その途中で目にする湖に普段と違う様子を見て取り、素振りの時間を変更して遼と秀にそれを知らせる。遅くに起きた当麻はそれを遼から聞かされ、むくれてみせたのだ。
 湖上に開けた冬の空には、早々と星が輝いている。澄んだ空気は心地好いが、風は身を切る冷たさを備える。
「…寒っ」
「当たり前だ馬鹿者」
 寒くなければ来る意味がないだろうと、征士は言いながらも当麻を抱き寄せる。意図するところを知ってうっすらと当麻が笑う。征士の中に残る鎧の力を使い、当麻は緩やかに風を操る。彼らの周囲だけ風が止んだ。
 細い桟橋を歩く二人の足元で、パチ、と小さく音を立てて氷が割れる。
「この分なら朝にはまた凍ってるかもな」
「見に来るか?」
 今朝とは逆に、お前だけを起こそうか。
 凍る湖面に鈍く光る朝日を、二人で見るのも悪くない。
 囁くように低く告げる征士に、当麻が肩を揺らす。笑った拍子に吐いた息が暗い空間に白く浮かんだ。
 凍る息さえ愛しくて、全てを吸い取るように征士はそっと唇を重ねた。

掲載日:2005.10.20

079. 耐えられる

 悲しいよりは悔しいという気持ちのほうが大きい。そんなことを征士に話したことはなかったが、彼にはわかっているらしいと当麻はうすうす感じ取っていた。
 少なくとも盆と正月の年二回、征士は必ず実家へ顔を出す。親類一同が集まって法事や年賀を行うのに、本家の長男である征士が出席しないわけにはいかないからだ。
 だがそこで征士に振られる話は、もちろんそんな行事関連のことだけではない。仕事のこと、日々の生活のこと、そして、近い将来彼が伊達の家を守っていく立場につく際の良き伴侶としての女性のことは、そのたびに持ち出される話題だった。
 この年の初夏、征士の元の婚約者が結婚をした。
 彼女のことはその場の誰もが知っていた。しかし、征士との婚約解消の事実は、互いの家族以外には知らされていなかった。そのため、当人を目の前にした面々は、事の真相を尋ねずにはいられなかったようだ。
 八月半ば。例年より数段疲れた顔をして、征士は当麻と暮らすマンションへと戻ってきたのだった。
 おかえり、と言ったきり、当麻は掛ける言葉を失う。荷物を下ろした征士に、そのまま抱きすくめられたからだ。黙したまま息を殺す征士の背に腕を回すこともできず、肌に触れる金髪にさらに頬を寄せる。幾種類もの鈴が不協和音を奏でているかのような、鈍く苛立たしい音が意識の中に満ちた。
『あぁ…征士も悔しいんだ』
 今はまだ、誰にも告げられない。互いの存在もその想いの深さも。
 いつか本当に別れる日がくるかもしれないと感じずにはいられない怖さと共に、秘め続けることへのもどかしさと罪悪感も増してくるのがよくわかる。それを、どうにもできないのが悔しくて仕方がなかったのだ。
「…すまん」
 曖昧にごまかして帰ってきたことを征士が詫びる。
「いいよ。――お前が知っててくれれば、それでいい」
 それだけで、耐えられる。
 漸く緩んだ腕の中で、征士の肩に顔を伏せた。

掲載日:2005.10.21

080. 同時

「たまたまお前に会っちまっただけ」
 同じベッドの中、当麻の声が低く告げた。
「…なんて言ってもな、ほんとに理解してくれる奴は一握りしかいない」
 仕方ないし、もうそんなに気にしてねぇけど…と続けた唇に征士は小さくキスを落とす。
 つい先ほどまで、当麻は彼の父親と電話で話していた。酔っ払って掛けてくんなよ、と苛立たしげに言ったのが征士にも聞こえてきて、彼がさっさと会話を切り上げたがっていることを悟らせた。結婚しろってさ、と短く口にして布団に入った当麻を、深く尋ねることなく征士は抱いた。
「歌を聞いたことがあってな」
「歌?」
 どんな歌かと尋ねる。
「生まれてくる時間が違っちまった恋人を想う歌」
 どういう状況だろうか。征士はしばし考える。
「まぁ、もとはSFともファンタジーとも取れるようなストーリーがあってな。そのイメージソングだった訳だ」
 それなら何となくわかりそうだ。
「その話自体は別にどうでもいい。ただ、歌詞の中に、自分が歩き続けていくのはその恋人に近づくためなのか、それとも知らず知らず遠ざかっていくためなのか、ってのがあって」
 言葉を切った当麻が、静かに一つ、息を吐いた。
「俺の前に現れたのがお前の足跡だけじゃなくてよかった。…本気でそう思ったんだ」
 微かに口許を歪め、さらに目を伏せた。
 こんな時、何か気のきいたことを言えればいいのだが。思いながら征士は、両腕で当麻を抱き込む。あやすように、彼の手が征士の背を撫でた。
 この同じ時を過ごせることに、どれだけの感謝をすればよいのだろうか。
 人の歴史を思う時、ひとつの人生などほんの一瞬にすぎない。その短い期間をすれ違うことなく重ねることのできた幸運。
「時すら味方にしたのだ」
 私たちは――と、当麻の耳元に囁く。腕の中で、青い髪が揺れる。
 そっと笑う気配に、征士も微笑んで目を閉じた。

掲載日:2005.10.22

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