Pulse D-2

innocent snapshot

 遼から荷物が届いた。写真集が二冊。どちらも遼の名で出版されたものだ。
「半分は自費出版みたいなもんだけどな」
 手紙の中の文句を頭の中で言わせてみれば、そう口にしながらも嬉しそうに笑う顔が容易に浮かんだ。
「けっこう意外…」
 呟いたのは当麻だ。彼が見ていたのは人物写真ばかりを集めた一冊。
「私もだ」
 応じたのは征士だ。こちらが見ていたものには自然の風景や動植物を撮った写真が並ぶ。
「意外? そっちのは遼らしいじゃねえか」
 征士の手元を覗き込んで、当麻はくっと片眉を上げる。
「そうか? お前の持っているもののほうが遼には似合う気がするがな」
 返る言葉に当麻が「うーん」と首を傾げる。その仕種がなんだかやけに幼く見えて、征士は微かに笑みを浮かべながら手にしていた本を当麻へと差し出した。
「すまんがコーヒーを淹れてくれるか」
「え? ああ、いいけど」
 受け取りながら、何の脈絡もない頼みごとに当麻は顔を上げる。もうその頃には言った本人は立ち上がり、同居人に背を向けている。話が半端な気がするんだが、と思いつつも、当麻も続いて腰を上げた。
 コーヒーの香りがキッチンに漂い始めると、それを合図にしたかのように征士も姿を現す。
「いい香りだ」
 ドリップ中の当麻の耳元で囁くと、当麻がびくりとポットを揺らす。
「…って、びっくりしたー」
 すまんすまん。口先だけで謝るのがまた征士らしくないように思うのだが、さっさとリビングへと移動していくのに当麻のほうでもそれ以上の文句は控えた。
「何だ? アルバム?」
 二人分のカップを手にした当麻が歩いてくる。テーブルに載せられたものを目にして尋ねてくるのに、征士は小さく頷きながら少しだけそれを横へずらす。今までアルバムのあった場所に、コン、とカップが置かれた。
「えー、何だよ。いつの写真?」
 わざわざ部屋まで取りに行ったらしい征士に、思わず当麻は苦笑いを浮かべる。小言の前フリなんじゃないかと疑う様子がありありで、向かいで見遣る征士も苦笑する。
「もう大昔の写真だ」
 昔? と首を傾げながらアルバムを開き、次の瞬間、当麻は大きく笑ってみせた。
「うわっ、お前、若っ!」
 そこにあったのは、柳生邸でのものらしい仲間たちの姿だった。
「高校? 大学?」
 自分の写真がないことに気づき、当麻は視線を下ろしたまま問う。皆が集まっていた時、その場に居合わせなかったのは単なる自分の身勝手だったが、こうして改めてその頃のことを思えばやはり寂しさを感じずにはいられない。
「日付が入っていないか?」
「あぁ、あるある」
 高校三年から大学二年にかけての写真には、征士の驚きの表情や照れて笑う姿などが実に楽しそうに収められている。ふだんはあまり見ることのないそれらをしっかりとらえている遼は、なかなかのものだと当麻も思う。
「いつの間に撮っていたのだか、あとで見せられて随分と恥ずかしい思いをしたぞ」
 そんな時の表情も、これらの写真を見ればわかるような気がした。
 ゆっくりと当麻はアルバムをめくっていく。とっくの昔に通り過ぎてしまった時間の、小さいけれど確かな軌跡。その最後のページで手を止めた。
「これ、いいな」
 大学三年の夏の写真だ。
 少し遠くを見ているのか、僅かにすがめた目が不思議な優しさとともに切望するような熱を思わせる。下方からの撮影のようだが、視線はカメラからは完全に外れているから征士には撮影者の遼は全く見えていないに違いない。
「こういう顔を自分がしているのだと、これを見て初めて知った」
 征士の言葉に、また少し当麻の表情が和らぐ。写真の中で髪を揺らしていたらしい風を思いながら目を細めると、その動きに添えられるように、いつもより幾分やわらかな征士の声が届いた。
「このとき私はお前を見ていた」
 上げた視線が征士の目とかち合う。そこには、直前まで見ていたものによく似た色と、比べようもないくらい深い想いを感じさせる空気とがあった。
 大きく二度瞬いて、当麻は静かに息を吐く。
「そっか、だからお前――」
 記憶の中で電話が鳴る。珍しい奴からきたな、と驚きながら話し始めたことを当麻はとてもよく覚えている。
『遼から写真が届いた。そっちにも着いたか?』
 名乗った後、電話の声はこう続けた。そうしてしばらく当麻の話を聞き、最後に、近いうちにもう一度会いたいのだが、と征士は言ったのだった。
「遼に感謝、かな」
「今さら言ったりするな」
「そう言われると尚更ばらしたくなる」
 むっと睨んでくる目ににやりと返す。肩をすくめため息をついてみせた征士に、当麻は軽く声を立てて笑った。
 あの時、近いうちにと言った征士は、本当にすぐに会いにきた。電話の声とは裏腹にやけに緊張した面持ちで、対する当麻を不審がらせた。そしてただ、
「お前のことが好きなのだ」
 とだけ告げて帰ろうとするのを、当麻は慌てて引き止めた。驚いて、混乱して、もっとわかるようにと説明を求めたけれど、
「何を説明しろと言うのだ」
 と逆に聞き返されて言葉に詰まった。
「好きなものは好きなのだ」
 掠れた声で言われ、ようやく言葉は胸の中へ心地好く収まったのだった。
 あれから十年以上が経ったのかと、当麻は思いながら再びアルバムへと目線を落とす。
『俺もほんとは見てたんだ』
 写真の整理などしていないし、征士に見せるつもりもないけれど、確かに自分も似たような顔を遼に撮られていたのだったと、当麻も思い出して苦笑する。
「…してやられたな」
「何だ。感謝したのではなかったのか」
「さあ?」
 惚けながら顔を上げると軽やかなキスが降ってくる。静かに笑って受け止めて、
『やっぱり感謝』
 と、胸の中で呟いた。

掲載日:2007.11.06 / 6月1日 写真の日

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