Pulse D-2

diary in our hearts

『きょうはカナダに来ています』
 遼のインスタグラムはワールドワイドだ。初めて見たときには彼とインターネットが今一つ結びつかなかったものだが、毎回1枚だけ載せられる写真の美しさに、これは意外と遼に向いたツールだったのだと思うようになっていた。
 添えられる文字は少ない。どこにいるか、何を撮ったか、どんな出会いがあったか。新しい場所に行くたびに、生存報告のように短く告げられるだけで、その目にしたものを切り取った写真のほうがよほど雄弁に感じられた。
「元気にしているのがわかればそれでいい」
 当麻の感想に、征士はそう言って目を細めた。確かにそうだと当麻も思う。
 離れていても互いの状況を知り得る手段は、彼らが出会った頃に比べれば格段に増えた。ちょうどそういう時代に当たったとも言えるかもしれない。パソコンが一般的なものとなり、インターネットが普及し、携帯電話を持ち歩くようになったかと思えばスマートフォンに取って代わられた。Webサイトからブログへの変化、さらに手軽に、もっと素早くと、SNSが生まれ種類も増えた。次は何かと心待ちにしつつも、雑多な情報に辟易することが当麻にすらあった。そして、
「なんかもっと面白いもん、ねえかなぁ」
 などと呟けば、自分で作れと周りからは当然のように返された。
 これまでのそんな経緯を思い起こしながらFacebookの画面を長時間眺めていた当麻に、征士が怪訝そうな目を向けたのは週末の夜のことだった。
「何か興味のある話でもあったか?」
「ん? いや…みんないろいろ発信するなあって」
 老若男女問わず、興味の対象が多岐に渡っていて感心する。
「で、お前は無口だなあって」
 言われた征士は苦笑する。
「伝えたいことがないわけではないが、どちらかというと私は自分のために記録しておくほうが好きなのだろうな」
「閉鎖的だなあ」
 当麻も笑って
「ま、確かにお前には古めかしい日記帳とかのほうが似合うよな」
 と返した。
「自分でもそう思う」
 征士も言って、今度は肩をすくめた。
 ちょうど届いたメールに目を通す彼を、自分のスマホを置いて当麻は眺める。メッセージを返しているらしい指先が窮屈そうに見えるのは気のせいか。
『パソコンだってスマホだって普通に使うのにな』
 それでも当麻は、ものを書く征士の姿が好きだ。
 時折リビングで開いている大判の手帳や返信用ハガキに文字を書くとき、電話を受けてメモを取るとき、二人の伝言板として設置したホワイトボードに外出予定を書いているとき。それぞれ少しずつ手元の様子は違っても、真剣な目つきと流れるように文字の綴られる様子が心地いいと感じるのだ。
「お前ってさ、日記つけたりはしないわけ?」
「今はしていないな」
 メールを終えた征士に尋ねれば、彼は小さく首を振る。
「せいぜい業務日誌程度だ」
 それは手書きだろうかデジタルだろうかと考えつつも、
「昔は書いてた?」
 と当麻は別の質問をする。それなりに、と答えた征士は何かを思ったのか、少しのあいだ視線を逸らした。そして、
「文通ならしていたな、祖母と」
 と静かに続けた。
 父方の祖母はおっとりとした人で、手紙の書き方は祖母に習ったようなものだと言う。
「小学校に入ってすぐに、こっそりと日記をつけるようになった。一日の振り返りをかねてな。だが駄目なのだ。自分しか目を通さない日記では、そのときは反省できてもなかなか改善に繋がらない。ほとんどがその場で終わってしまう」
 かといって他人にわざわざ晒すものでもないと思っていた。
「そんな話をおそらく私は祖母にしたのだろう。じゃあ文通でもしましょうか、と言われたことはよく覚えている」
 週に1度、その週にあったことや考えたこと、自分の希望や願いを手紙に書いた。祖母からもやはり彼女の状況が伝えられ、時には相談事を持ちかけられるのが嬉しくもあった。
「祖母はちょうどいい相手だったのだろうな。近すぎず遠すぎず、うるさく言うわけではないが不思議といいタイミングで経過を尋ねてくれた」
 彼女が亡くなる直前までその文通は続き、征士からの最後の一通だけは必ず棺の中に入れるようにと遺言されたそうだ。征士が小学校を卒業する少し前のことだった。
「今でも持ってる?」
 そのときの手紙について尋ねる。
「実家にある。私の書いたものは処分してもらったがな」
「なんだ、残念」
 幼い征士の悩みや願いを覗いてみたい気もしたが、今こうして目の前に本人がいるのだからいいかと思うことにする。
「今は皆、オープンだな」
「秀の店のブログ、すげえ面白いよな」
 思い出して言えば、征士も笑って頷く。週に2、3度、店員数名によって書かれているブログには、客の話や店員同士のやり取りを中心に賑やかな日常が綴られる。語り口調が軽妙で、思わず声を出して笑いそうになる。公共の場で読むには注意が必要なブログだ。「店員」というのはもちろん秀を含めた彼の家族のことだ。
「今日の記録か」
 しみじみと呟いた征士が次に口にしたのは――テーマは『今日の当麻』。
「あぁ?」
 嫌そうな当麻の声にも征士は怯まない。
「それなら私にとっては楽しいな」
 澄まして言うのにげんなりする。
「お前ってほんと、そういうところタチが悪いっていうか、センスが悪いっていうか」
「公開してやってもいいぞ」
「まじで勘弁しろ」
 んなことやったら別れるから。
 こちらも澄まして告げると、征士が視線を合わせてきた。
「まあ、お前のことを誰かれ構わず教えてやるつもりはないがな」
「言ってろよ」
 再び渋面を作って応えておいた。
 どこかへ記しておいたなら、こんな会話ですらいつかきっと懐かしく思い出すのだろう。
『でも書かないけどな』
 グラスを持つ手の表情を、静かな笑いを纏ったその雰囲気を、過不足なく記す術も間違いなく伝える言葉も、自分は持ってはいないから。
『お前のことは、俺が覚えててやるよ』
 どこに書くわけでなくとも、誰に伝えるわけでなくとも、二人のあいだにある日常の小さな一つひとつはこの胸に刻まれている。目の前に広げてみせることはできなくても、確実に積み重ねられていくその記録を大切にしていきたいと思う。
 グラス越しに目を合わせ、照れくさくなってすぐに逸らした。

掲載日:2018.06.14 / 6月14日 日記の日

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