Pulse D-2

enchanted coffee time

 姉の使いで買い物に行ったら小さな袋が一つついてきた。中身を聞いて、寄り道をしていくことにする。
 二年になって同じクラスになった羽柴は、一年の頃から目立つ奴だった。何かの拍子にその旨を告げたところ、
「お前だってそうだよ」
 と笑って返されたので、やはりそうか、と呟いたら、
「自覚は大切だぞ」
 と、わかったようなわからないようなことを言われた。
 とりあえず、そうだな、と答えておいた。
 羽柴の住まいは小さなアパートだ。自宅からでも通えない距離ではないが朝寝坊したいから近いほうがいいのだと言う。
「それで遅刻してどうするのだ」
 だいたい高校生が一人暮らしなど…と続けると、
「親の許可もあるし成績は心配ないし好きに寝て起きて食って自由で気楽で平和だぞ」
 と言って澄ましている。自由にも程度というものがあるのだとそのうちしっかり教えてやろうと思う。
 そんな羽柴の部屋は、いつ行っても本が山積みになっている。いわゆる「積読(つんどく)派」なのかと思ったが、話を聞いてみるとどうやらそうではないようだ。積まれている本について、実に細かな内容まで覚えている。こちらの質問にぱっと答えるのみならず、
「この本に書いてある。確かこの辺――」
 などと言いながら一冊を取り出し、当該のページを開いてみせるのだ。大した芸当だ。
 そしてまた語り始めると長い。こちらの聞きたかったことの何倍もの答えが返ってくるのが常で、そのうちに言葉を切ったかと思うとコーヒーを淹れに立ったりする。語るときも考えるときも、傍らにコーヒーがあると落ち着くのだそうだ。それは私にはあまり馴染みのない習慣だった。
 そうやってコーヒーまで用意してしまうとさらに羽柴の話は長くなるが、不思議なことに鬱陶しいと思うことは殆どない。さらさらと流れ出てくる言葉のせいだろうか、それとも愉しそうに目を輝かせて羽柴が話すためだろうか。どれだけ語っても知識をひけらかしている感じがしないのは、自分の内にあるものを自然に出しているだけだからなのかもしれない。
 そういう羽柴の姿を見るのを楽しみにしている自分に気づいたのは、つい最近のことだ。今日も、その一環として手土産を持参したわけである。
「で。これ何?」
「買い物をしたら付いてきた。粗品進呈というやつだ。羽柴に良さそうだと思って」
「わざわざ持ってきてくれたのか? あした学校でだっていいのに」
「それはそうだが、来るか来ないかわからない相手に渡すものを持って学校へ行くほうが理不尽な気がする」
 理不尽! と声を高くし、羽柴はけらけらと笑う。
「あー俺、お前のそういうとこちょっと好きだわ」
 そういうとことはどういうところのことか。尋ねようか尋ねずにおこうか数秒考えたが、その間にも羽柴は袋を開けて中身を確認し始めたので、こちらの質問はせずじまいになった。
「おっ、コーヒー?」
 羽柴が右手で取り出したのは、掌におさまるほどの紙袋に入ったコーヒー豆だ。袋に貼ってあるシールの表示と漏れてくる香りとで中身がわかったのだろう。嬉しそうだ。
「こっちはチョコか」
 袋の中に残ったものをテーブルの上に滑り出させる。チョコレートの中央にコーヒー豆を仕込んだ菓子だ。甘いものを好む羽柴にはいいだろうと思ったのだ。
「すげえ嬉しい。サンキューな。飲んでけよ」
 早速コーヒーを淹れるというので遠慮なくいただいていくことにした。
 雰囲気的にはサイフォンが好きなんだけど、と言うものの、実際に羽柴の部屋にあるのは普通の家庭用コーヒーメーカーだ。一度に何杯分も淹れられるので便宜上使っているとのことだが、そんなに一日に何杯も飲まなくてもいいのではないかと思わなくもない。
「だってさ。いろいろ試そうとするとどんどん豆使わないといけないだろ。当然、一日の摂取量は多くなるわけだ」
 いろいろ試すというのは、豆の種類やローストの加減、ブレンドの仕方の好みを自分なりに試してみるという意味である。そうそう少量で売ってくれるところはないため、豆が古くならないうちに使い切るにはかなりの速さで消費していかなければならないということらしい。
 そこまで凝る必要はないと思うのだが。
「一人で消費しようとせずに誰かと豆を分け合えばいいのではないか?」
 試しに言ってみる。ちょうど良さそうな人物もいる。
「何? それって、協力してくれるってこと?」
「私ではないぞ。姉がコーヒー好きだからな。今日も姉用の豆を買った店でさっきの豆とチョコを貰ったのだ。もちろんコーヒーに付き合うのは構わないが」
 姉に話してみるか? と伺いを立てる。一瞬の間の後、羽柴はふにゃりと目尻を下げた。
「伊達っていい奴だな~」
 何故なのか、少しばかりどきどきした。
「…そんなことを言われたのは初めてだ」
 え、そう? と羽柴はまた笑う。彼はこんなにいつもよく笑っていただろうかと、ひそかに考える。すると、
「じゃあ、いい人記念に、これ、お前専用な」
 と、羽柴は洗ったばかりらしい食器を拭き始めた。苔色とでも言えばいいのか、渋い緑色をしたマグカップだ。
「おふくろが土産に買ってきたんだ。さっき来て置いてった。これでも織部」
 …と言われてもよくわからん。
「織部?」
「織部焼。美濃焼の一種な。これは緑色だけど青織部」
 やはりいまひとつわからないが、ひとまず追究はここまでにしてコーヒーの入ったカップを受け取る。見ると、持ち手の上に何か付いている。
「…蛙?」
「そ。かわいいだろ。作家のお遊び」
 やはり緑色の、蛙の姿をした二センチ弱の飾りがあるのだ。いわゆる子ども向けのようなかわいらしさがあるわけではない。実に写実的だ。が、羽柴はやはり楽しそうだ。恐らく本当に気に入っているのだろう。笑顔でかわいいだろと言われれば、そんな気がしなくもなくなってくるのが我ながら不思議だ。
「かわいい…かもしれんな」
 満足そうな羽柴の様子にこれこそかわいいではないかとふと思う。――いや、待て、何だそれは。
 慌てて撤回しながらカップに口をつける。…熱い。
 コーヒーは、他所事を考えずに飲もうと思った。

掲載日:2007.11.11 / 10月1日 コーヒーの日

[6月]へ

[10月]へ

[征当〔Stories〕]へ戻る