Pulse D-2

pretty egg

「あ、今日の弁当、皐月ちゃん?」
 弁当箱の蓋を開けた途端、当麻が笑ってこう言った。朝の自宅での様子を思い出して征士は頷く。弁当箱を二つ、笑顔で征士に差し出したのは、間違いなく妹の皐月だ。
 小学校では給食が出たが、中学・高校は弁当持参の必要があった。当麻が中学に上がった際、彼の保護者である祖父は当麻のために弁当を作ろうと奮闘したが、さすがに毎日は難しかったらしく、ひと月ほどたったあたりで、
「二人分作るも三人分作るも、大差ありませんから」
 と、弁当作りを申し出た征士の母に、いつもお手数をお掛けしますと頭を下げたらしい。若い孫に寺の精進料理を朝昼晩と食べさせるのを避けようとしたのかもしれないとは、中学を卒業する頃になって当麻が気づいたことだったが真偽のほどは確かめていない。
 征士の家ではその頃、征士と姉・弥生の昼食を、母と弥生とで作っていた。別に、母親が弁当作りを嫌がったわけではない。中学への進学と同時に弥生が率先して自分のお弁当を作るようになり、そのまま征士の分も追加されただけだ。そしてさらに当麻の弁当が加わるにあたり、女性二人はかなり張り切った。当麻が見かけとは裏腹に征士の倍をいく量を食べることを知っていたからだ。
 当麻の大きな弁当作りは、今年、妹の皐月にバトンタッチされた。彼女が中学に上がったのである。
 料理上手の母と姉に知らず知らず甘えてきた末っ子は、正直言って料理が苦手だった。薄々それを感じていた当麻は、入学式直前の皐月に言ったことがある。
「無理しなくていいからね。たまにはパン買って食べるのもいいもんだし」
 それに返された言葉は、
「心配しないでください。必ず毎日、お兄ちゃんと当麻さんのお弁当、私が作ってみせますから」
 だった。気合いの入ったガッツポーズ付きである。正確には『私とお母さんが』だと思ったものの、口には出さずに当麻は笑って頷いた。
 それから半年。彼女はがんばっていると思う。だが、がんばりすぎるのが目に余るのか、試験期間のみ弁当のことは忘れるようにと母親からのお達しがあったらしい。皐月からそれを聞いて、当麻はやはり笑った。
「昨日で中間試験が終わったからな。今朝は台所に入れてもらえたようだ」
 征士は小さく苦笑して答える。これからまだ半年弱、自分たちは彼女たちの世話になる予定だ。その間に皐月の技量も多少は上がるだろうが、二人が高校を卒業した後も彼女が自分の弁当を作り続けるかどうかは少々あやしい。状況の変化はさまざまに想像できるが、どうも姉の時とは違う感じになりそうだと思わずにはいられない。
 そしてまた、当麻が今日の弁当を見て皐月の手が入っていると考えた理由もわかってしまい、今度は可笑しそうに肩をすくめて当麻に言った。
「卵か?」
「うん。皐月ちゃんのゆで卵」
 当麻もにやりと返す。二学期になってから定番になっていたのが、このおかず(?)だった。
「楽なのだろう。結構、場所も埋まるし」
 もっともな意見だと当麻も頷く。
 弁当には必ず一つ、卵料理が入った。いちばん多いのは卵焼きだったが、皐月はどうやらこれに手こずっているらしい。「見た目は悪いけど味はいいから」という伝言とともに征士から弁当を受け取った日には、彼女への愛しさが随分とこみ上げてきたものだった。
「でも今日のはちょっと手間かかってんじゃん。これって一晩かけて味つけたりしない?」
「私に聞かれてもわからん」
 白と薄茶の二色の卵が、薄くスライスされ交互に並べられて縞模様を作る。この一手間にどれだけ愛情がこもっているか、征士は知らないのだろうと当麻は密かに思う。
「まぁ、いろいろと研究してはいるようだ。休みの日は食事のたびに何か一品新しい物を作っている。…あれはお前のことが本当に好きだからな」
 そして続いた言葉に大きくため息をつき、箸を手に取りながら口にした。
「わかってないな、征士は。皐月ちゃんはお前に褒めて欲しいんだよ」
 征士からは、何だそれは、と言いたげな視線が返る。
「だから、俺がおいしいって言うのはある意味当たり前なわけ。俺は何だっておいしく食べるんだからさ」
 それはそうだが…と征士は眉根を寄せている。
「皐月ちゃんは、昔っからお兄ちゃんが大好きで大好きでだーい好きなわけ。俺が征士と仲いいの、嫌がってた時期だってあったんだよ」
「そうなのか?」
「…やっぱり気づいてなかったんだな。もう、三、四年前だし、今はそういうの全然ないけど、それでも俺に良くしてくれるのはさ、そうするとお前が喜ぶってこと知ってるからなんだよ」
 もちろんそれだけではないと思うが、彼女にとって自分はせいぜい「兄みたいな存在の幼なじみ」でしかないという自覚も当麻にはあった。
 だが、やはり怪訝そうな征士を見て、それならと当麻は口調と表情とを変えて征士に迫った。
「それとも征士は、俺と皐月ちゃんをくっつけたい?」
「あ、いや、待て、それはないっ」
 やや上目遣いの泣き出しそうにも見える顔、小さな声の拗ねた物言い。つい先日、十八歳になった男のする顔じゃないだろうと思うくせに、征士は条件反射のようにうろたえてしまう。幼い頃、初めて当麻と喧嘩したときの胸を締め付けられる感覚がよみがえって、未だにどうしたらいいのかわからなくなるのだ。
「ほんとのほんと? 俺のこと、絶対離さない?」
「勿論だ。誰が何と言おうと離すものか」
 箸を持ったまま祈るように指を組ませた当麻の両手を、上から征士の両手が包み込む。しっかりと手を取り合う高校三年男子二人の昼休みは、当然ながら校舎内での時間。そこに掛けられる声は、少しの疲労をにじませていた。
「…なあ、俺らいるの、忘れてねえ?」
「すごい…。卵ひとつでここまで盛り上がれるもんなんだな」
 心優しい友人たちは、いまさら二人の関係にとやかく意見したりはしない。ただ時折ほんの少し、呆れとうらやましさとその他もろもろの感情を乗せて、二人きりの世界へ行ってしまっている征士と当麻を現実世界へ引き戻す言葉を発するのだ。
「すまん。食事を続けてくれ」
 澄まして口にする征士と笑ってごまかす当麻が、何事もなかったかのように弁当に目を戻す。その弁当箱の中、愛のこもったゆで卵は笑うように艶めいて、二人の箸が伸びるのを待っていた。

掲載日:2009.10.12 / 10月12日 たまごデー

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