Pulse D-2

A song of love doesn't freeze.

 家に来ないかと言われたのでいつものように何か渡したいものでもあるのかと思ったら、
「飯作るからさ。泊まりに来いよ」
 などと続けて言われて、柄にもなく心臓が跳ねた。羽柴といるとこんなことばかりだ。
「何だ、突然?」
 取りあえず聞き返す。羽柴は「あれ?」という顔をして大きく二、三度瞬いた。
「嫌か? 別に無理にとは言わないけど」
「いや、そうではない。いきなりで驚いたが、嬉しい」
 羽柴がぱっと笑顔を見せる。学校ではあまり見ることのない表情だ。
「一度、家に帰ってからそっちに行ってもいいだろうか。着替えぐらいは欲しい」
 着替えぐらいはあるけど、伊達がそうしたければもちろん構わない、と答えが返る。
「せっかくだから二泊してけば。どうせ連休だし。でも、その前に一緒に買い物な」
 言うが早いか歩き出す。途中の廊下ですれ違った担任の教師に、
「羽柴、来週も毎日来いよ」
 と言われて、
「がんばりまーす」
 と適当に手を振る。それを見てやれやれと肩をすくめると、
「伊達、しっかり連れてきてくれ」
 と、教師はこちらに話を向けた。なぜ私がそこまでしなければならないのだと思いはしたが、軽く頭を下げてその場を後にする。
 羽柴の足取りは軽やかだ。土曜の午後の解放感は彼にも影響するのだろうか。天気がいいのも関係しているのだろうか。そんなことを考えているうちにも羽柴は一軒のスーパーへと入っていく。さして大きくもない店だ。
「伊達って何か食べられないものとかある?」
 好き嫌いもアレルギーもないと答えると、だろうと思った、とまた笑う。
「そんな感じ」
 ほめられているのだと思うことにする。批判的な場合の羽柴はこんなふうには笑わないことを、少しの付き合いの中で私も学んだのだ。
「和食と洋食、どっちが好き?」
 慣れた様子で店内を歩く羽柴の後ろを、買い物かごを手にして付いていく。普段は和食が多いと言えば、じゃあ今夜は洋食にしよう、と羽柴は言う。食品売り場を歩くのはなにやら少し居心地が悪いが、次々と野菜やら肉やらをかごに入れていく羽柴は楽しげにさえ見えて面白い。こちらの口元も緩みがちだ。
「ここってさ、土曜日が冷凍食品の三割引なんだよな」
 冷凍食品の売り場で立ち止まる。安売りされているようだ。
「何かおかしいのか?」
 羽柴いわく、土日は放っておいても客は来るはずだから安売りにする必要はないのだそうだ。平日に三割引なら話はわかるんだと言われても、いまひとつピンとこない。
「よく買うのか?」
 言葉が足りなかったようだ。羽柴が首を傾げるので付け加える。
「冷凍食品はよく使うのか?」
「うん、まあ、それなりに。あると便利だ」
 答えてから、何を思ったのかこちらを見てにっと笑った。
「伊達も、いると便利だ」
 便利とは、どう捉えたものか。気分は少々複雑だ。単純に荷物持ちがいて助かるという程度の話なのか、それとも日頃のやり取りのことを示しているのか、もっと他に含むところがあるのか。
 自分の言ったことなど忘れたかのようにさまざまな冷凍食品の入れられたケースを覗き込む羽柴は、シュウマイ、釜飯、グラタンなどをためつすがめつ眺めている。今夜の献立などというものが彼の頭の中にはあるのだろうかと、いまさらながらに考えてみる。そして、普段はどんな食生活なのか、一人暮らしの彼の日常を知っているようで実は知らない自分に少し寂しくもなる。
「いまどきの冷凍食品ってさ、結構よくできてるんだ」
『若鶏の香草パン粉焼き』と書かれた袋をかごに放り込みながら言い、続けて、例えばこれ、と『ミックスベジタブル』なるものの袋を手にする。
「栄養をなるべく損なわないように作ってあるから、意外と栄養価は高いらしい。いつも新鮮なものを食べられるわけじゃないから、下手に自分で冷凍しておくより冷凍済みの食材を買ったほうが味的にも栄養的にも上って場合も少なくない」
 味は悪いと言う人もいるが自分は十分おいしいと思うし、一人で使うにはちょうどいい分量で無駄がない。そんなことを羽柴は強い調子で言ってから、ふっと声を低くした。
「伊達の家じゃ、あんまりこういうもの、使わないんだろうな」
「よくわからんが、恐らくはそうだろうな」
「でも俺には結構ピタッとくるんだ」
 料理は別に嫌いじゃないし食費は余るくらいある。だから手の込んだ料理もたまには作るし、外食をすることだって少なくない。だけど少しのお金と少しの手間で、欲しいときに欲しいだけのものが手に入るのはとてもありがたい。そしてそれは決して、怠惰とか惰性とかいい加減さなんかじゃなくて、俺にとっては嗜好と合理性と快適さの追求の中にあるものなんだ。
 わかるようなわからないような、何の話をしているのだったか…とつい考えてしまうようなことを口にした羽柴は、そこで一つ大きく息を吐き、こちらに背を向けたままこう言った。
「伊達も……俺にはピタッとくる」
 このときの気持ちを何と言えばいいのか。全身の血が沸騰したかのように、一気に込み上げてきた熱に思考も呼吸も支配された。のぼせた頭を必死に働かせ、詰めた息を無理やり吐き出すのに、どれくらいの時間がかかったのかさえわからない。
 ようやく正気に戻り、羽柴との間合いを詰めた。間にある買い物かごが少し邪魔だったが、可能な限り耳元に口を寄せた。
「…羽柴は、ところ構わず抱き締めたくなる」
 ちらりと振り返った羽柴から目をそらした。向けられたままの視線と笑う気配だけははっきりと感じられる。
 そして、羽柴が動く。伸びた手がかごの持ち手を掴み、両側から提げられた買い物かごがゆらりと揺れる。こちらの腕にかかる重みが半減する。
 目を向けると、ふわりと目尻を下げた羽柴が言った。
「解凍しちゃわないうちに帰ろうな」
 羽柴の部屋まで約七分。はたして私の理性はもつだろうか。祈るように天を仰ぐと、急かすように笑う羽柴に背を押された。

掲載日:2015.10.10 / 10月18日 冷凍食品の日

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