Pulse D-2

ぬくもりの館

 夏の長い年だった。いつまでも続く残暑に、ただでさえ出不精の当麻は涼しい自室にこもりきりになり、挙げ句、急に冷えた朝夕に風邪をひいて二日ほど寝込んだ。そうしながらも寝言で、
「月見だんご…」
 と洩らしたのにはさすがに征士も声を立てて笑ってしまい、当麻が元気になると早速だんごを買ってきて彼に寝言の件を話して聞かせた。
「ここの草だんごがさ――」
 うまいんだよ、と話す彼の、やけに細かな駅前商店街情報を聞く。仕事の形態が変わり自由に使える時間を得やすくなってからは、征士も個人経営の小さな店を利用するようになった。時には当麻と連れだって買い物をすることもあり、そんな折の店員とのやりとりからも、当麻がよく商店街を利用しているらしいことが窺えた。
 以前の当麻は、一店で様々なものを買い揃えられる大型のデパートやスーパー、量販店の類いを好んで使っていた。その他に、ネットショッピングにはまっていたこともあったし、やたらと通販カタログが部屋に散らばっていた時期もあった。ふらりといなくなっては旅先で奇妙なものを買い込んで帰るのには、征士も怒りと呆れとが入り混じって困ったものだ。
 金は持っているので、値の張るものでもぽんと買う。そのさいたるものは、前年の征士の誕生日に買った山だ。
 同じ駅前に位置する不動産屋で扱っていたものだが、現在彼らの住む場所からはだいぶ遠い。だがそれは、人ごみで暮らすことに時折疲れを見せる征士を思っての選択であり、これから先も二人で生きていくことを願っての贈り物だった。征士は喜んで受け取った。
 当麻が土地を買い、征士が家を買う。それで二人の間での話はついたが、その後がなかなか進まなかった。もともと宅地用ではない土地は、整備をするにも手間暇かかる。また、当然、住居との兼ね合いを考えて進めるべきものだが、その肝心の家が一向に決まらなかったのだ。
 これといって急ぐ理由があったわけではなく、逆に、お互いの気持ちが定まったことで精神的に落ち着いた部分があったのだろう。つらつらと思いを巡らせながら見て回るうちに一年が経つ。そうして征士の次の誕生日が過ぎた頃になって、ようやくどういった建物にするかのイメージがまとまったのだった。
「――という話があるのだが、どうだ?」
 その希望に添いそうな話を征士が持って帰ったのは、九月も終わろうとしていた頃だった。
「面白そうだな。ま、実物を見てみないことには何とも言えねえけど」
 不動産関係の会社からではなく、個人的なつてで舞いこんだものなので、多少の用心をしつつ当麻も応じる。それはもっともな話だと征士も同意し、まずは物件と条件とを確認すべく先方へ伺う段取りを進めた。お互いの都合が合うのは十月十日のみ。期せずして、当麻の誕生日となったのだった。
「くそっ。雨か」
 だが、十日前には晴れると言っていた天気予報は、一週間前からは雨を通告し始め、結局、当日は曇り空で夜が明けた。二人が出掛ける頃には細かな雨が降り始め、当麻に舌打ちさせる。
 隣に立つ征士は、そんな当麻を目の端に捉えながら、静かにガラス窓を閉めていく。
「日本式の家屋は雨の日を見ておいたほうが良いぞ」
 言われて当麻も、少し考える素振りを見せた。
 道路状況を考えて、二人は電車で目的地へ向かうことにする。二人の求める建物は、彼らのマンションと、今後暮らすことになるはずの山とのちょうど中間くらいの場所にあった。
 新しい戸建て住宅が、狭い敷地に目一杯の広さで建ち並ぶなか、その古い木の家はそっと沈黙を保っているように見える。敷地も、周囲の家々よりずっと広く、庭に植えられた欅(けやき)の太い幹が印象的だった。長く、家も木もこの地にあったことを物語る。
 二人を迎え入れたのは、この家の所有者である老婦人と彼女の息子夫妻だった。品良く微笑む老婦人は、征士に、もう何年も前に亡くなった祖母を思わせる。厳しい祖父の分まで穏やかであろうとしているような、控えめだが懐の深い女性だった。
 建物内の案内は主に彼女がしてくれた。事前に聞いていた通り、家への愛着はとても深いようだ。柱の傷や床の染みにも、それぞれに思い出がありそうだと征士は思う。それはそのまま、自分の育った家に対する征士自身の思いでもあった。
 その家と土地を手放すことになった経緯については、ごく簡単にだけ聞いた。土地は既に買い手がついているそうで、分割して複数の家を建てるのだと少し淋しそうに彼女は目を伏せる。
 だが、この家だけでも何とか保てないかと知り合いの建築家に見てもらったところ、もとの材も造りも良質なものであることがはっきりし、希望者がいるならぜひ移築を、との意見が出たのだった。その建築家が、征士の仕事関係で繋がりのある人物なのだ。
 杉と檜を建材とした家は、すでに百年ほどを経てきている。現在の持ち主の祖父母の代に建てたらしい。伝統的な木組みの構法を用いた美しい建物であり、立派な家というわけではないが「いい家」と表現するにふさわしい趣を備える。移築となる際には作業に携わりたいと、建築家自身が口にしている。
 そして、専門家ではない征士や当麻にも、その良さは伝わった。
「私の実家と、よく似た雰囲気を持っています」
 そう告げた征士に、
「ご実家はどちらなのですか?」
 と老婦人が尋ねる。
「宮城県の仙台市です」
「仙台…仙台……」
 聞いた彼女は何かを思い出そうとしているようだ。
「…広瀬川?」
 出てきたのは川の名だ。市内を流れ、名取川と合流して太平洋へと抜ける河川だ。
「はい」
 頷く征士に彼女は続ける。
「青葉城」
「はい」
「ええと…伊達政宗?」
 征士はさも嬉しそうに首肯した。
「はい」
 お詳しいのですね、と感心すると、以前は社会科の教師だったのだと言って、老婦人はにこりと笑った。
「政宗公は、私にとっては英雄です」
 気分よく征士は言う。こんな話をするのは珍しいなと、言った本人も横で聞く当麻も思うそばで、婦人はよくわかるという感じで何度か頷く。
「奥州の覇者ですものね」
 そうして、すっと視線を当麻へと向けた。
「羽柴さんは? お名前からいくと、太閤秀吉かしら?」
 いたずらっぽく彼女が目を輝かせると、当麻のほうでもわずかに口の端を上げてちらりと征士を見遣った。
「俺のヒーローは、こいつかな」
「はっ?」
 征士が不思議そうに当麻を見る。
「…本気にしたか?」
「――馬鹿者」
 おかしそうに声を上げて笑う当麻に、婦人も、ふふふ、と笑ってみせた。
「素敵ですね、そういうのも」
 二人を包み込むようなやわらかな言葉に、征士も目を細めて微かに頷いた。
 気の済むまでごゆっくりどうぞと言い置いて、老婦人はしばし二人の側を離れる。共に息子夫妻も姿を消すと、征士と当麻は広い縁側に腰を下ろし、萩の花の咲く静かな庭を見つめた。
「どうだ?」
 征士は短く尋ねる。
「うん…」
 低く答える当麻は、それきりしばらく無言を保つ。木枠に透明なガラスとすりガラスとが千鳥格子を描くようはめられた引き戸の向こうに、音もなく雨が降り続ける。
「俺――」
 小さく口を開いた当麻へ征士はゆっくり目を向ける。
「こういう家に住んだことないからさ。お前のうちに行くたび、緊張したけど嬉しくてな。歩いた時の床板のたわむ感じとか、気候によって変わる手触りとか」
「あれは古い家だからな」
 言いながら床に手を下ろし、当麻が板の節目を指先でたどる。その動きを目で追いながら、征士も見解を返す。当麻は、うっすらと笑んだようだった。
「こういうのに憧れてたんだよ、俺。――こんないい家に住んでいいのか?」
 当麻の口調は、征士に話しているというよりも、自分自身に冷静な判断を求めているという感じだった。
「そう思うくらいのところで丁度良いのではないか」
 征士の声はそんな当麻に安らぎを促す。
「苦悩の末に得た私たちの居場所だ」
 ふっと当麻は顔を上げる。慈しむような征士の目に出会い、静かに息を吸い込みながら見つめ返す。
「…本の保存場所は増築するかもしれない。いいか?」
「もちろん構わん」
 躊躇なく答える。当麻が小さく頷く。同じ動きがガラスの中にもぼんやりと見える。
「ようやくプレゼントできるな」
 征士は呟き、当麻に首を傾げさせた。
「誕生日おめでとう」
「……遅すぎだって」
 前髪を掻きあげながら肩を揺らす当麻に、征士も喉の奥で笑った。
 老婦人が二人を居間へといざなう。濃いえんじの客用座布団。使い込んで色の深まった木の座卓。いれたての緑茶のあたたかな香り。
 そして、小さな漆器の上に草だんごの濃緑が美しく見えていた。

掲載日:2005.12.07

[征当〔Stories〕]へ戻る