Pulse D-2

週末の庭

 夕刻になって雨は雪へと変わり、次第に凍り付いていく水が地面や木々を凍えさせていた。
 曇った窓ガラスを指で軽くこすり、当麻は外を眺める。暖かい室内では遼と秀が英語の問題集を広げていそいそと勉強をしており、台所ではナスティと伸が夕食の準備を始めていた。
 腹へった、と秀がぼそりと呟く。その声に顔を上げた遼の視界に当麻が入り、征士遅いね、と声をかけた。当麻が振り向いた時にはもう遼は下を向いていて、横で空腹を訴えている秀を多少気にしながら勉強を続けていた。
 秀の攻撃を避けるため、当麻はすぐに窓に向き直す。秀が立ち上がって台所へ行こうとすると、ちょうどやって来た伸が早口にまくしたてた。
「そんなに騒がなくてももうできたよ、席につきな。遼もごはんだよ。当麻、待ってなくたって征士なんかすぐ帰ってくるよ」
 そして食卓へと向かう。
 確かにその通りだと当麻も移動しかけたところで、窓の外の白い風景の中に他の色彩を見つけた。
 彼はやや急ぎ足で帰ってきて、首を傾げながら眺めている当麻に気づき少し表情を和らげた。
「ただいま。遅くなってすまない」
 部屋に入ってくるなり謝罪する征士に、君の食事はなしにしようかと思ってたよと、伸が奥から言葉をかける。その後ろでナスティが笑っている。濡れたコートを脱ごうとして初めて、征士は自分の持っているものに気づいたという感じで、おや、と声を出した。
「何、持ってるんだ?」
 彼が帰ってきた時からずっと気にしていた当麻は、尋ねながら数歩近づく。征士の懐からは、にぃ、と小さな鳴き声がした。
「つい拾ってきてしまったのだが……」
 征士が取り出したのは、真っ白い仔猫だった。帰る途中の道端に捨てられていたのだという。
 見た途端にナスティが喜びの声を上げて駆け寄り、それに遼、秀、伸の順で続く。名前は何にしようかと言い出す彼女に、雄か雌かと伸が尋ねる。確かめてみて、雄だわと喜ぶナスティに、雌ならかわいい子供を生んだかもしれないのにと、遼が残念そうに言った。
 猫を抱えていたがために皆の中心に位置してしまった征士と、なんとなくその輪から外れてしまった当麻の目が合う。思ったよりも近くにいたのに多少戸惑ってすぐに視線を逸らすと、それはどちらもそのまま仔猫へと注がれた。
「食事にしたほうが良いのではないか?」
 征士が呆れたように言って、ようやくその場はおさまり、猫の食事をと再びキッチンへ立ったナスティを待って、夕食が開始されたのだった。


 ほれ、と、よく弾む小さなゴムボールを上へ投げる。それは重力に従って落下すると、床に当たってまた1メートルほど跳ね上がる。追いかけまわして、白い猫も跳びはねていた。
 征士の拾ってきた猫はすぐに元気になり、みんなにかわいがられていた。昼間はほとんど征士のそばをついてまわっていたが、冬休みが終わって皆が学校へ通い始めると、白炎やナスティに相手をしてもらうようになっていた。
 ところがこの日は、他よりも数日早く試験の始まった当麻が昼過ぎに柳生邸に戻ってみると、何故か静まり返った家で、猫だけが彼を迎えたのだった。
「ま、いいか」
 普段まったく相手をしない当麻も、テスト中の暇さが手伝って猫にちょっかいを出す。猫のほうも、それが嬉しくて仕方がないというようにじゃれつく。
 そのうちに当麻は、気に入っている屋根裏部屋へと移動した。電話も、来訪者の声も届かない、最も落ち着ける場所だ。
「お前は気楽でいいよなぁ」
 何となく呟く。猫は気にした風もなくボールとたわむれており、当麻は苦笑してソファーの背にもたれた。
 屋根裏部屋には、古いソファーと何枚かの毛布、電気ストーブ、電気スタンドが持ち込まれている。窓は四角い小さなものが一つあるきりで、冬は寒く、夏は暑い。だが、当麻は何かというとここに来るのだった。彼の他にここを訪れるのは征士と遼で、前者は考え事をしに、後者は窓からの風景を楽しみに来るらしかった。
 ふいに当麻は立ち上がり、その窓へと歩いていく。東向きの窓を覗くと、下には華やかな街並みが広がり、上には曇った空が見える。開けようとして手を伸ばしかけて、寒そうだからと止める。
「また雪になりそうだな、ミケ」
 当麻の声に、それまでボールに夢中だった猫が、にゃあ、と鳴く。そして階段を上がってくる足音に気づいて、入口に駆け寄った。
「やはりここにいたか」
 扉を開けて征士が顔を覗かせた。足元に擦り寄る猫を抱き上げ、柔らかい毛を撫でる。
「随分早かったな」
「もう遼や秀も帰っているぞ」
 当麻のほうへ歩きながら征士が答える。彼は三日後から、遼と秀は一週間後から試験で、それぞれ帰りが早かったらしい。
「それにしては静かだな」
「お前と違って、試験勉強というものをするからな」
「――ご苦労様です」
 とりあえずそれだけ言って、当麻はまた外へと視線を移した。
「何が見える?」
 征士が窓へ寄ると、当麻はふざけてその前に立ちはだかる。
「見せてやんねーよ」
「……お前は――」
 当麻の首を絞めようと、征士が腕を伸ばす。肘を中心にして頭を抱え込むようにすると、さしてこらえることもなく当麻が音を上げた。
「苦しいって。悪かった……って」
 言葉の途中でふいに征士が腕を緩めたので、何かと思って当麻は征士を振り返る。
「雪だ」
 そう言ったきり、妙に真剣に征士は雪を見ている。なるほど、外では小さな白い塊が舞い始めていた。そのせせこましい雪と、珍しくもない筈なのにじっと見ている征士が気に入らなくて、当麻は心なしむっとしてしまう。
「見んなよ」
 窓に手をついて当麻が言う。いぶかしげに征士が振り向く。
「何、見つめ合ってんの?」
 いつの間に来たのか、入口に立つ遼が睨み合う二人に言うのだった。
「征士、ナスティが呼んでるよ。…あれ、タマもここにいたんだ」
 征士の抱える猫が、また小さく鳴く。
「ナスティが探していたのだ」
「それはシルベスターだろ。こいつはミケ」
 耳打ちする征士に、当麻が言い張る。シロだ、と征士が言うと、タマじゃなかったの? と、からかうように遼が口を挟んだ。1匹の猫のことをいろいろに呼ぶ彼らのことを、猫自身はあいかわらず好意の目で見ている。
「今行く」
 離れようとする征士から猫を奪い取り、当麻も部屋を出ようとする。
「俺も行くから」
 それはどこか苛ついた言い方で、征士の気に障った。
「何を怒っているのだ」
「別にっ」
 答える当麻はもう階段を下り始めていて、部屋には溜め息をつく征士とストーブを消している遼がいるだけだった。
「妬いてんじゃないかな」
 ぼそりと言う遼に、驚いたように征士が目を向ける。
「遼に言われるとは思わなかったな」
「そう?」
「ああ」
 二人は小さく笑ってから、軋む階段を下った。

掲載日:2005.10.17

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