Pulse D-2

君と逃げよう

 ふと目を細める。
 当麻の座る木の下へ、光をよく反射させる金色の髪を揺らしながら征士が歩いてくる。その金色がまぶしくて、目を細める。
 さわやかに晴れた空は、青く、高い。こんな日を好むのは当麻ばかりではない。この柳生邸に住む者たちは誰もが外に出たがって、広い敷地内は楽しげな笑い声と穏やかな静けさとが同居した空間になるのだ。
「シーツは出しておいたからな」
 当麻の前まで来て、開口一番の言葉である。
「あん? 洗濯か?」
 一昨日もしたじゃないかと当麻がぼやく。昨日使ったシーツを今日洗い、今日洗ったシーツを明日使い、明日使ったシーツを明後日洗い…とぶつぶつ続ける当麻の声を聞きながら、隣に腰をおろした征士は笑っている。
「こういう日はナスティがな」
 家じゅうのものを洗濯し、庭やベランダまで掃除し、挙げ句の果てに、ごっそりと買い物をしてきて豪勢な食事を作ってみたりする。よくも疲れないものだと、当麻などは感心してしまう。
 やれやれと苦笑いして征士を見遣ると、当麻は何気ない様子で彼の髪に手を伸ばした。何だと言いたげな顔で征士は見ていたが、相手がそれきり動かないので自分の方から動いてみる。ほんの一瞬お互いの唇を合わせると、途端に当麻が目をぱちくりとさせた。そして表情を崩す。
「何を惚けていたのだ」
「いやさぁ――」
 照れ臭そうに当麻は笑う。それを見る征士の目も、変な奴だと言わんばかりに笑っている。
「おまえの髪は、太陽の匂いがしそうだと思って――」
 唐突な当麻の言葉に、今度は征士が目を丸くする。だが、即座に気を取り直して彼は答えるのだ。
「お前の髪は風の香りがしそうだし、お前の瞳は空の思いを伝えそうだな」
 聞いた当麻がさも可笑しそうに笑う。
「おまえって、ポエマーだったのな」
「何だ、知らなかったのか。まあ、お前には負けるがな」
 澄まして言い放ち、征士は当麻の髪に指を絡ませる。当麻は気持ちよさそうに目を細め、やがて互いに顔を近づける。何度も触れるだけのキスを繰り返し、征士は当麻を、当麻は征士を抱きしめた。
「さて」
 ズボンについた土を払いながら、征士が立ち上がる。
「ここもそろそろ危ないな」
「…あ、ナスティ?」
 納得したように口にする当麻を見下ろして、征士は苦笑と共に頷いた。
「買い物に付き合わされる」
 豪華な夕食を作るための、膨大な量の買い物にである。
 げー、と当麻が声をあげる。
「だが、それをさぼれば食事がなくなる」
「げろげろ」
 あたしが働いてるのに手伝ってもくれないと罵られ、三時のお茶のみならず、あやうく夕食まで抜かれそうになったのは、それほど遠い過去のことではない。
「げー、だの、げろげろ、だの、汚い奴だな。さあ、どっちの地獄を取る?」
 聞かれて当麻は唸っていたが、やがて決心したように顔を上げ、やけに元気に口にした。
「征士さんっ、俺と一緒に逃げてくれっ」
 すがるような目つきの中の、隠しようもないふざけた笑い。それを確かに見て取って、征士は、それまでの数倍は上をいく秀麗な笑顔を作ってみせた。
「よろこんで」
 手を差し出し、座っている当麻を引き上げる。そして寄り添い、笑い合いながら、木々の繁る中へと消えて行った。
 ほどなく二人を呼ぶナスティの声がその場に響いたが、それが本人たちに届こう筈もないのだった。

掲載日:2005.11.03

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