Pulse D-2

La soiree de la lumiere

 真っ青な空だった。
 雲一つなく透明で、強烈な光に満ちている。
 その光を遮るのは、生い茂る木々の深い緑色の葉だ。
 辺りにはその緑の濃密な香りが溢れていて、一歩進むごとにその中へ飲み込まれてしまうような錯覚に陥る。けれどそれは不快なものではなく、体を包む香りに励まされるように征士は緩い斜面を登っていく。やがて見えてくる小屋は、もう何度も訪れた当麻の仮住いだった。
「当麻?」
 中には人の気配がなく、征士は小さく呼んでから隣の部屋まで行ってみる。二部屋しかない小屋だから、そこにいなければ当麻は留守だ。そして、ベッドの中にも机の傍にも、彼の姿は見当たらなかった。
「仕方がないな…」
 呟いて征士はもとの部屋へ戻り、小さな冷蔵庫に持ってきたものを詰め込む。夏が近くなると毎年当麻はこの場所へ籠ってしまう。そこへ文句の一つも言わずに生活に必要なものを運んでやるのだから、自分も随分と人がいい。そう内心で苦笑して、征士は再び外へと出て行った。
 小屋の裏手にまわると、とてもきれいな川が流れている。
 透明な水、緩やかな流れ。深さはせいぜいふくらはぎの中程で、ひんやりと冷たく山の斜面を下ってくる。広い所でも五メートルに満たない川幅のほんの小川だが、そんな中にも小さな生物がたくさん暮らしていた。
 それを覗く形でしゃがみ込んでいる当麻を見つけ、ゆっくりと歩いていく。
「何が見える?」
 静かに尋ねると、
「宇宙」
 と答えが返る。
 それに微笑む征士を、やはり小さく笑った当麻が振り返った。
「悪い、もう来る時間だったんだな」
 征士が別に構わないと答える間に当麻は立ち上がったが、何を思ったのかもう一度低く声をたてて笑った。
「ん?」
 征士が首を傾げると、その肩に掴まって、当麻は苦笑いと共に髪を掻き上げる。
「足、しびれた…」
「――馬鹿者が」
 呆れながらも支えるよう彼の腰に手を回し、征士は僅かに低い位置の当麻の目をちらりと見遣る。同じように目を向ける当麻と視線が合うと、彼は苦笑を浮かべたまま頭を掻いた。
 水の音は小さく涼しげで、鳥の声も時折遠くに聞こえるだけだ。強い日の光から隠された二人は、静かな空気に溶け込むように優しい空気を纏ってゆっくりと歩く。
「腹、へってないか?」
 小屋の戸口まで来たところで当麻が尋ねる。
「いや、私は食べてきた」
「あ、そう」
 それならいいやと呟いて、当麻はまっすぐに寝室へ向かった。そうして足も洗わずにさっさとベッドへ潜り込むと、一言、
「おやすみ」
 とだけ声を掛けて、向こうの壁を向いてしまった。
 こんな日の高いうちから何を言っているのだ。そう思って征士はベッドの脇へ立ち、どうしたものかとしばらくの間彼を見下ろす。それからマット無しの固いベッドへ腰を下ろし、片手をついて当麻の顔を覗き込んだ。
「一緒に寝るか?」
 眠そうに、けれど可笑しそうに、細く目を開けた当麻が征士を見上げる。
「挑発するな」
 言いながらうっすらと笑うと、それを見て当麻は喉の奥で笑い再び目を閉ざした。僅かに上体を起こした征士が、柔らかそうな当麻の青い髪に指を絡ませる。
「今夜は星が降る」
 呟きの意味を尋ねようとした時には、既に相手は眠りの中だった。



「何か果物あるか?」
 日もすっかり暮れてから起きてきた当麻は、即座にそう言って冷蔵庫へ頭を突っ込む。
「ここにある」
 食卓となるテーブルの上に、夏みかんの綺麗な色が見えていた。丁寧に皮を剥いてやりながら、向かいの席についた当麻へ食事はどうするのかと尋ねる。
「とりあえずまだいい。腹いっぱいになると能力落ちるから」
「何の?」
 尋ねる征士にすぐには答えず、当麻は夏みかんへと手を伸ばした。少し苦い柑橘類の味が口の中いっぱいに広がった。
「泊まってくだろ?」
 食べ終わると、何の関係もなさそうな質問をして当麻は立ち上がる。それから征士が頷くのを確認して、彼を手招き、外へと出て行く。後を追う征士はしつこく尋ねたりせず、当麻のするにまかせて従うだけだ。それは慣れと信頼の両方を持ち合わせているからだった。
 暗い道の先には、突然開けた場所が現れた。目の前に小さな瀧があり、そのための段差によって視界を遮るものが少なくなるのだ。そこで傍の岩へ腰掛ける当麻に合わせて自分も座りながら、征士は辺りを眺めまわした。
 風に揺れる木々の枝が、さわさわと途切れることなく騒いでいる。その奥には夜鳴く鳥の声が聞こえ、動き始めた動物の気配がかすかに伝わる。それらすべてにまさる水の音は、彼の感覚を支配しようと体じゅうに染み込んでいく。
 それが、ふいに途絶えた。
 まったくの静寂。孤立した空間。闇に犯される視界。
 その中で、当麻の青い髪だけがほのかな光を放って存在を示す。
 征士の見つめる中、彼は立ち上がりゆっくりと顔を上げる。合わせて闇は切り裂かれ、世界に色彩が戻る――普段よりも鮮やかに。
 カーテンを開くように汚れた大気の幕は開かれ、透き通った空気が彼らを包む。空に輝く星は見たこともないほどの数になり、次から次へと流れ落ちる流星に天地の位置は怪しくなる。
 そして。
 ひとつの小さな光が当麻へと近づいた。
 気の早い蛍のように揺れながら昇ってきたそれは、音もなく当麻の肩へ留まる。淡く青く輝いて、とてもゆっくりと瞬きを繰り返す。
 気づくと、辺りには数え切れないくらいの光が溢れていた。川から森から天から地から、現れた光は当麻を覆い、やがて一列に天を目指して昇り始めた。つられるように、一歩、当麻が踏み出した。
「当っ――」
 慌ててしがみつく征士に、そこだけ光がはぜる。けれどすぐにまた征士ごと覆ってきて、奇妙な人の形を作り上げる。その中で、征士は聞いた。
『どこへ行けばいいの?』
『天へ』
『天へ?』
『そうだ。見えるだろう? 分かるだろう? 待っている人がいる』
 それは、道に迷ってしまったたくさんの魂だった。彼らをあるべき場所へ導くのだという。
「カユラに頼まれててさ」
 最後の一つが消えていくのを見ながら当麻が言った。
「自分も一緒に飛ぼうとするかもしれないとも言われたけどな」
「そういうことは先に言え」
 心臓が止まるかと思ったぞと征士が睨むと、当麻は笑って、
「ちゃんと助けてくれたじゃん」
 と小さく口付けた。
 抱き合ったままたたずむ二人の上で、音もなく、いつまでも流星群が降り続けていた。

掲載日:2005.10.25

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