Pulse D-2

よき日、よき朝、よき目覚め

 誕生日を目前にして、なにやら奥歯が痛くなった。
「お前それは虫歯ではないのか?」
 征士に言われて、そうかも、と答えてはみたものの、生まれてこのかた虫歯になった経験などないので、本当のところどうなのか当麻にはわからない。
「すぐに歯医者に行ってこい」
 曖昧な返事をしたら睨まれた。
「そろそろ仕事も終わる頃ではないのか?」
 その通りである。誕生日には仕事はしないと決めているので、その前に全て終わらせるようにこの時期は予定を組んであるのだ。毎年のことなので征士も承知しているのだろう。
「…さっき終わった」
 しぶしぶ言う当麻に、征士は一つ小さくため息をついてから自分の部屋へと姿を消した。これで終わるわけはないので待っていると、すぐに戻ってきた征士はプラスチック製のカードを当麻の目の前に差し出した。
「ここなら診療時間も長い。すぐそこだ、明日の午前中に電話してみろ」
 ご親切にどうも…と力なく呟いて、診療カードを受け取った。


 翌日、征士が帰宅した時、当麻は撮りだめたテレビ番組を見ているところだった。ただいま、と声を掛けると、もっそりと気怠そうに振り返る。その頬が少し腫れていた。
「ついでに親不知も抜いてきた」
 と言ったのだろう。口が上手く開かないらしい。もごもごと当麻の言葉は聞き取りにくかった。
「それは感心なことだ」
 素直に言うことを聞いたのみならず、プラスアルファのことまでしてもらってきていた当麻に、征士は内心驚きながら口にする。余程痛かったのだな、といまさらながらに思う。
「食事は?」
 尋ねると、テレビに目を戻しつつ左手を軽く振る。いらない、という意味だろうが、これだけでは半分しかわからない。
「食べたのか?」
 重ねて聞くと、当麻はもう一度同じ仕種をする。要するに、食べてはいないがいらない、ということだ。
「では明日の朝は早めに用意しよう」
 心なし口調をやわらげて言うと、一拍おいてから当麻がふたたび振り向く。視線が合う。何か? と征士は首を傾げる。当麻が目を伏せ視線を逸らす。上体を戻し際、その片頬が微かに笑ったように見えた。


 やっと眠った、と思ったら、あっという間に朝になった。それも多分、太陽は結構高く昇っているだろう。何度か花火の音が聞こえたように思った。
「痛みは引いたか?」
 後頭部を通って響く声。起き抜けの、少しかすれた征士の声。それが甘く感じられるのは長年の二人の関係のせいか、この状況のせいか、それとも単なる思い込みか。
「まだちょっと痛い、っていうか、重い、って感じ」
 どうにか口は動くようだ。ゆっくりめに答えると、征士からは一言、そうか、とだけ返った。
 背後で征士が身じろぐ。彼は当麻の半身を支えるように身体を寄せ、当麻が自分のほうを向くことがないよう抑止している。それは昨晩、当麻が何度も小さな悲鳴を上げたせいだ。
「いてっ」
 と身体を硬くして声を上げていた当麻は、何度目かに寝返りを打とうとした時、右肩を征士の腕に押さえられた。そのまま後ろから抱き締められる。首の後ろにぴたりと額を付けられると頭部の自由がきかなくなり、このまま寝たのでは身動きがとれなくて辛いのではないかと思ったものだ。だが、実際には四十五度くらいの範囲で適度に身体を動かしながら眠っていたらしい。ほとんど動かずに眠ったのは征士のほうだろう。
 今は背筋を伸ばし、征士は当麻の髪に頬を寄せている。動くたびに腹の上で擦れてくすぐったかった征士の右手の感触を思い出しながら頭上の動きを追っていた当麻に、次に届いたのは、
「先に言うべきことを後回しにしてしまった」
 という不本意そうな征士の言葉だった。
「ん? 何?」
「誕生日おめでとう」
 振り向こうとするのを止めるように、優しい言葉が降ってきた。
 ふっと息を止める。そうだった、虫歯と親不知とで忘れてた、と当麻は自分で笑いそうになる。
 笑いかけて力の入った腹部に、征士の腕が添えられる。わずかに腰を引き寄せながら静かに髪へ口づけるのを当麻も柔らかく受け止め、征士の手の甲に自分の右手を重ねる。
「サンキュ」
 そっと指先が絡んだ。
 窓の外で再び花火が鳴る。カーテンの隙間から射す光は明るい。快晴の秋の日に、運動会でもあるのだろう。
「食事はどうする?」
 外が静かになると征士が尋ねてくる。
「さすがにそろそろ準備をするか?」
 その言い方に、目覚めを待っていてくれたのだと知れた。
「――まだ、いい」
 低く答えて繋いだままの指先を握り込む。応えるよう征士の指にも力がこもった。
 少し、胸が苦しい。けれどそれは、とても心地好い苦しさだ。
 この日を本当に嬉しく思うようになって、ようやく人生の半分を過ぎた。子どもの頃は、自分の誕生日に合わせて仕事のやりくりをする母を申し訳ない気持ちで見ていた。誕生日など覚えてもいない父を気にするのは早々にやめた。祝ってくれる仲間ができてからも、それに慣れるのに随分と時間がかかった。喜びより戸惑いのほうが大きくて、祝う意味がうまく掴めず表面だけの礼を口にしたこともあった。征士と二人で暮らすようになり、毎年少しずつ、わかるようになってきた。
 今は、自分の誕生日も大切だと思える。父にも母にも、感謝することができる。自分を認めてくれた仲間にも、不思議なくらいに想ってくれる征士にも、おめでとうと言われれば心からありがとうと返せるようになった。
 三十を過ぎて、そろそろあまり年を取りたくないと思いもしたが、誰より先に誰より近くから自分のことより嬉しそうに祝いの言葉を告げる征士に、どうしようもなく心が浮き立って、次までの一年をまたしっかり生きようと思ってしまうのだ。
『きっとこれは幸せなことなんだろうな』
 詰まる息をゆっくりと吐き出す。そうして顔を上げかけると、気づいた征士が身体を浮かせて当麻の顔を覗き込んだ。
「食事より――」
 言いながら腕を伸ばす。征士の首を掴んで軽く引く。
「大丈夫か?」
「痛まないようにキスしてくれ」
 悪戯っぽく言えば、征士も小さく笑って顔を寄せた。
 いつでも目一杯キスできるように予防歯科にも気を配ろう。
 殊勝に思いながら、征士の髪に指を絡めた。

掲載日:2009.11.14
当麻誕生日企画『Perfect Sky *RETURNS*』様への参加作品でした。
本当はもうちょっと長くてもうちょっとごちゃごちゃ征士と当麻が話すはずの作品でしたが、誕生日のお祝いということで軽めに甘く仕上げてみました♪
ちなみに征士が歯医者に行ってるのも予防のためです。

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