Pulse D-2

だからこそ

「今年はどっか旅行でもする?」
 突然なんの話かと首を傾げかけて、征士はふっと視線を壁のカレンダーへと向けた。
「お前の誕生日の話」
「土曜日か」
 特に気にかけていなかった。毎年、当麻に気づかされている気がする。
「長い休みというわけでもあるまい。無理に出かけることはないぞ」
 天気も落ち着かない時期だろうしと続けて返すと、当麻はちょっと口端を歪めてみせた。
「お前って、思ってたよりインドアな」
「今さら言うな」
 お前に言われたくない、と心から思う。特別アウトドア派ではないのは認めるが。
「じゃあ一日中ふたりでごろごろしてる?」
「ごろごろ…」
 両極端だなと呆れて笑う。それでもどこか満足そうに見えたのだろう。
「じゃ、決定」
 と当麻もにっと笑って口にした。
「でもなー征士、もっとアクティブに過ごしたほうがいいぞ。アラフォーなんだし」
「それはお前も同じだろう」
「俺まだ38だし」
「私だってまだ38だ」
「残り1か月だけどな」
「祝ってくれるのではなかったのか?」
 誕生日の話だった筈だがと首を傾げ気味にして目を覗き込む。当麻はふっとその目を細める。
「そりゃ、祝うさ」
 視線がわずかに斜め下に逸れる。
「お前が生まれてきてくれてよかったって思ってるからな」
 口元の静かな笑み。照れた目元とマグカップをまさぐる指。
「そう思ってもらえて嬉しい」
 こんなふうに素直に伝え合えるようになれて嬉しい。
 胸の中で囁きながら、カップを口に運ぶ当麻の髪にそっと指を滑らせた。


「最高のごろごろ日和だ」
 誕生日当日は雨になった。前夜に激しく降り始め、朝になってようやく細かく静かな降り方に変わった。ひんやりとした空気が街を包む。
 晴れたら晴れたで同じことを言いそうだと思いつつも、異論は唱えずに征士もベッドの上に留まる。枕に伏した当麻に手を伸ばし、肩からうなじを撫で上げると、くすぐったそうに首を竦めてから当麻が笑い顔を向けてきた。
「駄目だって、感じちまうだろ」
「その気になるのはいいことだ」
 こちらも枕に頭を乗せたままで答える。
「まだ朝なんだけど?」
 揶揄を含んだ目が楽しげで魅力的だ。
「どうせ一日ごろごろしているのだろう?」
 口にしながら身体を寄せて、征士は当麻の裸の肩にキスを落とす。
「元気だなぁ」
「若いからな」
 澄まして答えると、当麻は肩を揺らして笑った。
「強調すんなって、年寄りくせえ…」
 確かに、と自分でも笑いつつ、拒まない身体を抱き締めた。


 お互いの誕生日をこんなふうに過ごしたのは、初めてではない筈だ。二人で暮らすようになってもう随分になる。そんな関係に悩むこともなくなり、互い以外での交友関係や恋愛沙汰が問題になることも勿論もうない。
「なんだ、もう枯れたのか」
 などと言って、事情を知らずにからかう者を軽くあしらうこともできるようになった。こんなに深く抱き合う相手がいるのを教えてやるのももったいない、なんてことすら思えるようになった。
『それなりに年もとってみるものだ』
 また「年寄りくさい」と言われそうだが、しみじみ思うのは止められない。
 働き盛りの元気な身体、静かで楽しく平和な家庭、飽きさせず愛し続けてくれる大切な相手。どれも、いま手の中にあり、かけがえのないものだと言い切れる。失って初めてその重さに気づくのではなく、手にしているうちにこうして思いを向けられるのは、きっと、当麻との間に悩ましい時期が少なからずあったからだ。それを越え、二人でいるのが本当の意味で当たり前になるだけの時間を過ごしてきたからこそ感じるものなのだろうと思えた。
「ん? 何だ?」
 胸の上に乗る青い髪を梳けば、当麻は微笑んで尋ねてくる。
「私は幸せだな」
 答えに今度は喉の奥で笑ってみせる。
「今ごろ気がついたのかよ。俺と知り合った時点で超ラッキーだっての」
「たいした自信だな」
「昔からだろ」
 当麻がごろんと寝返りを打ち征士の上から身体が落ちる。腕枕をする格好になり、征士は当麻の頭を抱き寄せた。
「そうだな。最初からだ――そういうところにも惚れたのかもしれんな」
「うわっ、そうくるか」
 笑いながら、また口説きスイッチ入ったか? と呟くのに征士も笑う。
 こんな時、柄にもなく思うことがある。
『このまま時が止まればいい』
 初めて彼を抱き締めた時にも、初めてきちんとキスを交わした時にも、肌を合わせた後に熱い身体を抱いて眠ったいくつもの夜にも、繰り返し思っては叶わないのだと諦めて、そうしてまた一つ年を重ねた。これまではそれを残念に思ってきたのだが――
『そうか。止まらなくて構わないのだな』
 胸の中がさっと晴れ渡った。青い空に吸い込まれそうで思わず目を細める。
「なんだ? ほんとに幸せそうだな」
 ああ、と頷く。
「幸せそのものだ」
「最高に?」
「最高に」
 少しの間があり、当麻が身体を起こした。真上から見下ろされて征士も目を上げる。すると、ゆっくりと無言のまま当麻の顔が下りてきた。伏せられる目と触れ合う唇。
「どうだ。もっと幸せになったか?」
 わずかに離れて告げる口の端が、いたずらっぽく引き上げられる。これはまいったな、と素直に思う。
「なるほど。上には上があるものだな」
 当麻が大笑いした。
「ほんっと、気づくの遅いって」
 くにゃりと笑う目の楽しげな表情も、焦がれた昔のそのままに征士の胸を高鳴らせる。
「お前が気づかせてくれればいい。これからもずっと」
 何年でも、何度でも。
 掌を当麻の頬に当てる。両手で包み込むようにしながら彼の目を間近に覗く。そのまま低く、頼むぞ、と囁く。
「任せとけ」
 俺、賢いから、と照れつつ返す愛しい相手に、きりがないと思えるくらいの深いキスを贈った。

掲載日:2012.06.14
遅くなりましたが伊達誕のお祝いですv
今年は一日中ごろごろしていた2人のようです(笑)。平和ね…。

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