Pulse D-2

愛していると囁いて (3)

「伊達ってさ」
 こう言った後に数秒の沈黙があった。話しかけておいて眠ってしまったのではないかと訝しんで、
「何だ?」
 と伊達は尋ね返す。
「なんで彼女いないんだ?」
 続いたのはこんな問いで、何を突然言い出したのかと伊達は瞼をあげた。薄暗い部屋に並べて敷いた布団の中から、羽柴は確かに彼を見ていた。
「何故と言われても答えようがない。そういう相手に出会っていないだけだ」
「でもさ、バレンタインにはチョコ貰ってたって聞いたぞ」
 そんなものは自分だけではないだろう…と言いかけて、
「羽柴は貰わなかったのか?」
 と質問に変えた。
「俺? 正真正銘、風邪引いて休んだ」
 行けば義理チョコぐらい貰えたと思うんだけどなぁと残念そうなのは、甘いものが好きな羽柴としては本心なのだろう。不運だったなと心の中で呟いておく。
「今までは興味がなかった。特定の誰かと特別に親しくなることも、女性を愛するということも、煩わしいとすら感じていたと思う」
「もったいない。で、それって過去形?」
「過去形だ」
 そこまで言って伊達は体を起こし、敷き布団の上に正座した。慌てて羽柴も起き上がり、つられて膝をつき合わせる形になった。
「今は違う。私は羽柴と付き合いたい」
 じっと見つめ合う。キッチンの窓からぼんやりと射し込む光だけで目にする相手は、昼間とは違う妖しさを感じさせる。
「えっと…この話の流れでいくと、付き合うっていうのはつまり、俺がお前の恋人になるってことで合ってるか?」
「そのとおりだ」
「ほんとに?」
「本当だ」
 答えの後にまた沈黙。そして、目元がふっと和らいだ。目尻を下げて羽柴が笑う。
「すごいな、お前、男なのに、俺にそういうことはっきり言えるんだな」
 同性かどうかは小さな問題らしい。
「正直な気持ちなのだから仕方がない。私は嘘はつけない。それに、ごまかしながら友人のふりを続けるつもりもない」
「うん。わかりやすくて、すげぇ助かる」
「私のほうには差し出せる担保はないのだが」
 その言い方に小さく声を立てて羽柴は笑う。もしかしたら食事のときからずっと、この想いを――むしろ自分の欲を――伝えるきっかけを伊達は求めていたのかもしれない。この部屋で一度、緩い抱擁を受けたときの、くすぐったいような安堵とざわざわと胸を焦がす独占欲とが羽柴の中によみがえり、互いの気持ちはとっくに決まっていたのだと悟らせる。
 足を崩して胡座をかく。緊張を解くように軽く体を揺らしてから上目遣いに伊達を見る。
「いいよ、担保なしで。その代わり――」
 小さく息を吸う。表情に真剣味が加わる。
「愛してる、って言ってくれ」
 伊達の両腕が伸びた。指先が羽柴のこめかみに触れる。掌全体で頬を包む。
「愛している」
 躊躇うことなく発せられた声は、わずかに掠れながら羽柴の鼓膜と胸を揺らした。
 確かに交わされる二度目の抱擁。伊達の長い腕で抱き締められながら、羽柴もゆっくりと彼の背に腕を回す。当麻、と耳元に声が落ち、自分の名はこんなに甘やかだったかと思わせる。ずっと呼び続けてほしい。そう告げたそうに顔を上げ、そっと背筋を伸ばして口づけた。
 触れただけの初めてのキス。確かめるような二度目の口づけ。
「征士」
 囁くように呼べば、今はもう厳しさのかけらもない目が柔らかに細められる。胸が一杯だと今なら当麻にも実感できた。いつまでもこのままでいいとすら思えた。
「ずっと――」
 長い三度目のキスの後、額を合わせた状態で征士が低く声にする。視界を閉ざしたまま、当麻は耳を澄ます。
「私は羽柴に認められたかったのだと思う。私自身が羽柴当麻に見合う人間であることも、他の誰よりも羽柴の近くにいることも、羽柴の求めにまっ先に応えられる者であることも、羽柴に肯定されたいと思ってきたのだ。自分の道理ではなく、他人の評価を求めた。そういう自分をこれまでの私なら恥じていただろう」
 体を離す気配に当麻は顔を上げる。元の正座に戻って背筋を伸ばす征士は、当麻の知る公明正大でまっすぐな眼差しを持った男だった。
「だが、恥じる以上に望んでいる。当麻に、誰よりも必要とされたい。誰よりも自分に合う相手だと思われたい。そして、私も当麻に愛されたい」
 どうだろうか、と言葉を切った征士を、当麻は引き寄せ頭を抱え込んだ。柔らかい金の髪に頬を寄せる。
「愛してる。愛してるって。もうずっと前から俺にはお前しか見えてない」
 何度も言ったらありがたみがなくなるかな、嘘っぽく聞こえやしないかな。頭の隅で考えるものの口は勝手に繰り返す。
「愛してるんだ、征士。俺にはお前が必要だ。俺のいちばん近くで、俺のこといちばんよく見て、いつでもまっ先に手を貸してくれよ。俺が助けを求めるのは、いつだってきっとお前だからさ」
 普段使わない言葉が照れくさい。だからこそこの言葉しかないと思える。伝われ、届け、征士の心に響き渡れ。願って髪に口づけた。
 夏の夜の喧騒からぽっかりと取り残されたように静まる部屋で、二人の鼓動だけが激しく重なり合っていた。
「承知した」
 耳に届く優しい声。瞳に映る満面の笑み。
 この夏は最高に楽しくなる、そんな予感がしていた。

掲載日:2018.06.04(初出:2016.05.03 SCC25 無料配布)


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