Pulse D-2

夕暮れ時には僕をみつけて(3)

 征士の生活は規則正しい。一定の時刻に目覚め、始業も終業も規定どおりに働き、健康に配慮した食事を済ませてから勉強と読書をして眠りにつく。休日には時折、スポーツ指導員や観光案内をボランティアでしている。彼自身はトレッキングと剣道が好きだと言う。
 一方、当麻の生活は不規則だ。以前よりましになったとはいえ、基本的にフル稼動で働いているほうが充実感を持てる彼は、幾通りものプランを考えたり綿密な計算をしたり、あれこれ同時進行でこなしていくのを常としている。顧客のためなのはもちろんだが、それ以上に自分の好みと感性と能力をうまく生かしながら実行していく。休日はほとんど寝て過ごす。
 そんな彼らが顔を合わせるのは、たいてい週末だ。金曜の夜に2人で食事をするところから始まり、互いの予定に合わせて月曜の朝までを過ごす。征士がボランティアで出かけることもあれば当麻が急用で外出することもあるが、それ以外は基本的に2人で部屋にいる。場所は征士の住居のことが多い。
 朝食はそれぞれ好きなものを食べる。征士は和食を作って先に食べていることが多いのだが、この日は当麻が目を覚ましたときにまだ一緒に布団の中にいた。カーテンは少し開けられていたので、もっと前に目覚めていて、当麻が起きるのを待っていたのだろう。
「おはよう。朝食は何がいい?」
「クロワッサン」
 目が合うなり聞いてくるのに答えると、
「買いに行くか? 作るか?」
 とさらに尋ねる。
「作れんの? すげぇな。でも早く食いたいから買うほうがいい。っていうか、たまには朝も食べに行く?」
「それもいいな」
 時計を見ると9時近くになっていた。こんな時間まで征士がベッドの中にいるのはきわめて珍しい。夜中に起きたせいか、その後の夜の営みのせいか、それとも別に意図があるのか…と当麻が考えるあいだにも、征士はベッドを下りて着替えを始めた。振り返り、その様子を当麻は目で追う。
 実は、当麻は着替えをする征士の背中を見るのが好きだ。腕の動きに従って肩甲骨の動きが見えて楽しいからだ。細身の当麻よりも骨格からしっかりしている印象を受け、それが羨ましくもあった。
 当麻は知らない道だったが、征士は迷うことなく小さなベーカリーへと歩を進めた。店の一角にイートイン用のスペースがあり、幹は細いが背の高い木々と細長い庭で周囲の住宅と仕切られている。まだ新しいのか、淡いクリーム色を基調とした店内は明るく清潔感にあふれていた。征士自身、入ったことのない店だと言う。
「うん、なんかイメージじゃないかも」
 と言ってから、
「あ、俺じゃなくて征士のイメージだぞ。俺はこういう店、大好き」
 と当麻は付け加えてさっさと入っていく。
「お前の私に対するイメージは偏っているな」
 低く呟きながら後に続く征士に、当麻は喉の奥で笑った。
「今日、午後からだっけ?」
 野菜と鶏肉の挟まった大きめのクロワッサンを食べ終えてから、向かいの席でコーヒーを飲む征士に確認する。この日は午後から、小学校低学年向けの剣道体験教室があるという。もう何年も続いているもので、征士も常連の指導員として参加する。
「俺も見にいっていい?」
「珍しいな。見学は自由だ」
 参加者の父兄が様子を見るため、見学は自由となっている。当麻に見られるのは気恥ずかしい気もしたが、征士としては嘘は言えない。どうせ始まってしまえば指導に夢中になる。子ども相手なので怪我には十分注意しなければいけないし、何事も最初が肝心、剣道の良さを知ってほしくてつい真剣になってしまうのだ。
 やった、と小さく当麻が笑う。見たいのは剣道なのか自分なのかと、征士は頭の隅で考えるが、それはどちらでもいいと結論づける。彼と共有できる時間が増えることが嬉しいのだと気づいたのだ。
『熱烈な愛情ではないかもしれんが――』
 苺と生クリームの載った甘そうなデニッシュにかぶりつく当麻を見ながら、征士は昨夜の彼の言葉を思い出す。抑えきれない情熱があるわけではない、それは確かだ。だが、激しい感情は必ずしも必要なわけではない、それも確かだと思えた。
『理屈ではなく、替えがきかないのだ、お前という存在は』
 言葉で表すのは難しい。きっと当麻も同じなのだろうと、夜中の当麻の話しぶりから推測できた。それでも、お互いを大切に思う気持ちは伝わったと思いたい。
「ん? なんかおかしいか?」
 尋ねる当麻に、征士は笑顔のまま首を振った。

掲載日:2018.06.09(初出:2017.05.04 SCC26 無料配布)

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