Pulse D-2

Wie schmeckt es?(2)

 紅茶を飲んで少し落ち着くと、輝一が自分のバッグへと手を伸ばした。何だろうと思って見ていた輝二に、やがて、はい、と輝一は小さな袋を差し出す。
「あんまりきれいに包み過ぎるのもどうかなと思って…」
 それはごくシンプルなカントリー調の紙袋だった。けれど多分、内側はオイルペーパーのようになっているのだろう。そういう感じの硬さがあった。
「チョコはどうせいっぱい貰うんだろうと思ったから、少し、違うのにしてみた」
 何? と首を傾げてみせてから、輝二は開けてもいいかと尋ねる。輝一が頷き、輝二は手元に目を落とした。
 袋に合わせた地味な色合いの小さなシールでとめただけの簡単なラッピングだったが、そのシールすら破かないよう丁寧に剥がしてくれるのが輝一には嬉しかった。
「昔、母さんやおばあちゃんがよく作ってくれたんだ」
 輝一の声を聞きながら、輝二はゆっくりと袋を開けた。

「母さん、あのさ…クッキーの作り方、教えてもらえる?」
 土曜日の午後だった。
 ちょうど祝日も重なっていて輝一の学校も母の仕事も連休になっていたが、肝心の輝二が家族そろって泊まりがけで出かけてしまうため、いつものデート(もどき)もできずに輝一は何となく時間を持て余していた。
「確か、ホットケーキミックス、使ってたと思うんだけど…」
 続いた輝一の言葉に、母は「ああ、あれね」と彼の指しているクッキーに思い当たって頷く。
「簡単よ。今から作るの? 急になに?」
「うん…あげようかな、と思って」
「誰に?」
 いたずらっぽく聞いてみると、輝一は一度口を開きかけてから、母の表情に気づいて小さく照れる。慌てて目を逸らし頭を掻く彼に、今度は軽く声を上げて彼女も笑った。
「バレンタイン?」
「…うん、まぁ、ね」
「輝一が貰うんじゃなくて?」
「…うん。あげるんだ」
「男なのに?」
 だって相手も男だもん、とはまさか言うわけにもいかず、
「本当は男も女も関係ないんでしょ? 日本では女から男にチョコを渡す日だけど、外国ではそんなんじゃないっていうから…」
 と口にして、再び目だけを母へ向ける。
 そうね、そういうの母さん好きだわ。
 母はさらりと、けれど実に嬉しそうに目を細めて言った。


「焦げてるんじゃなくて、ココアの色だからねっ」
 袋の中を覗き込む輝二に、輝一は急いで言う。うん、と小さく頷くのに、
「ほら、輝二の好きなやつ」
 と付け足すと、すぐに何のことか分かって再度頷く。
 その名を『黒糖ココア』という。
 輝一の家にある、カップに粉を入れて牛乳またはお湯を注ぐだけででき上がるココアで、『黒糖の持つマグネシウム・カルシウム・鉄分とココアのミネラルの合体した家族全員で楽しめる健康飲料』という、いかにもありがたそうなふれこみで売られている商品だ。
 純ココアはインフルエンザも撃退するなどと言われ、この時期ココアは愛飲率が高くなるようだが、一年じゅう好きで飲んでいる身としては、何を今さら、という気がしなくもない。
 それでも、母がどこからともなくこの少し風変わりなココアを買ってきたその日、おもしろそうじゃない? と言う彼女の姿に、何となく血の繋がりを感じた輝一だった。そのココアを輝二にも出してみたら、彼も気に入ってくれたのだった。
「ちょっと形悪いし、大きさもそろってないけど…」
 困ったように輝一が小さく言うと、輝二はまた、うん、と静かに頷いて僅かに目を細めた。

 おかしいな、と輝一は首を傾げた。二日前に母と共に作った時とは明らかに生地の様子が違っていた。
「やわらかい…」
 全体にぺたぺたとしてコシがない。これじゃあ円筒形に形を整えて同じ厚さに切り分けて、なんてことはできそうにない。
 何か分量を間違えたのだろうかと困っていると、ちょうどお茶をいれていた母が声を掛けてきた。
「少し寝かせてみたらいいかもしれないわよ」
「寝かせる?」
 三十分、冷蔵庫に入れてみる。
「何とかなるかな…?」
 手に粉を付け、小さく生地を取り分けて丸める。それをゆっくり潰して薄くする。
 オーブンの調子が悪くて焼け方にムラができるので、途中で一度取り出し、天板の上に並んだ焼きかけクッキーの向きを少し変える。そうやって、焼き上がりの表面の色がきれいに均等になることを輝一は願う。
 真剣な顔でその作業に取り組む息子を、母の朋子はどこかおもしろそうに見ていた。


 ちらりと一度、カウンターの方向へ目を向ける。それから輝二は袋に手を入れ、不揃いな中で大きめに見えた一枚を取り出した。
 丸ごと口に放り込む。
 クッキーを噛む輝二の口の動きを、向かい側から輝一が見る。祈るようなその表情に輝二も一瞬視線を飛ばしたが、そのうちに自分でも澄まし顔を保てなくなり、兄から隠すよう顔をそらした。
 だがもちろん、輝一には全て見えている。
 輝二の顔が次第ににんまりと笑う。それにまずは急に不安が大きくなり、それから、じわじわと恥ずかしさがこみ上げてきて、輝一は頬が熱くなるのを感じた。
 見遣る先で、輝二が言いようのない幸せそうな笑顔を浮かべていた。たぶん照れているのだと思うのだが…
『ここまで照れてる輝二は初めて見た』
 戸惑いつつも、輝一は恐る恐る声を掛ける。
「…どう、かな?」
 上目遣いの輝一に、輝二は少し迷ってから顔を上げる。そうして、目線を合わせて照れたまま、可笑しそうに口にした。
「輝一の味、って感じ」

 一口食べた母が、ふっと口許を緩めた。
「一緒に作ったのより、輝一らしいわ」
 何それ、と輝一は思うのだが、母の何とも不思議な幸福のオーラを感じて自分も一つつまんでみる。
 少し、もそっとした感じがあったが、全体に舌触りも味もほわりとやわらかでやさしいように思う。ちゃんとココアの味も出ていた。
『これが、俺らしい…?』
 どうにもピンとこない。
 甘すぎない輝二向きの仕上がりになっているとは思う。ちょっと歯にくっつくかな、とも思うけれど、がっついて食べるわけじゃないから大丈夫だろうと考える。
「でも大きさがまちまち…形もばらばら…」
 少し情けない声だったかもしれない。
 こんなの渡すのは恥ずかしいかも、と思う。
 けれど、そんな輝一をしばらく見つめてから、母は静かに意見を述べた。
「これを笑うような子なら――かわいそうだけど、輝一には合わないと母さんは思うな」
「そんなぁ…」
 今度こそはっきりと情けない顔と声になりながら、輝一はうらめしげに口をとがらせる。もう電話もしちゃったし会う約束だってしたんだからと、何とかいい方法はないかと少し考えをめぐらせる。
 そして、優しく与えられた言葉に、やがて小さく頷いた。
「大丈夫。自分の好きになった子を信じなさい」


NEXT →


[輝二×輝一〔Stories〕]へ戻る