現実逃避の一幕

本日、久々のお能です♪
仕事も原稿も上がっておりません(^_^;)。困ったね。でも能には行くのだ(地獄は後回し/笑…ごめんなさい)




第4回桂諷會「唐物揃」
国立能楽堂 13:30開演 17:30終演
仕舞6番 狂言1番 舞囃子2番 一調1番 能1番
仕舞「鶴亀」長山凜三:前回の「老松」に続いて仕舞では二度目の凜三君(能シテの桂三さんの息子さんです。4歳。7月には「自然居士」の子方をつとめました)。かーわーいーいー(笑)。声もしっかり出ていて頼もしい限りでしたv
仕舞「鍾馗」観世喜正:久々の喜正さん。相変わらずいいお声、綺麗な足さばき、堂々とした身のこなし。うまい。
仕舞「龍虎」鵜澤 光・久:二人、がっぷりといい勝負、といった感じでなかなか好感が持てました。
仕舞「菊慈童」浅見真州/仕舞「楊貴妃」野村四郎/仕舞「天鼓」山本順之
それぞれ美しくも悲しげな良さが出ていましたが、個人的には地謡(浅見慈一・観世喜正・浅井文義・馬野正基)が、響き良し、落ち着き良し、調和良しでとても好みでした。
狂言「茶子味梅」野村万蔵・扇丞・萬:この曲は女性の立場からは微妙だよね。その「腹立ちや!」に愛情を感じられるととてもいい曲になると思ってます。今回はぼちぼち、って感じでしたでしょうか。シテは唐人なので、中国風の装束で登場します。髭面の万蔵さんは、思わず「阿部サダヲ?」と言いたくなる雰囲気でした(笑)。
舞囃子「猩々乱」長山禮三郎
今まで見た禮三郎さんの舞台の中では、私にとってはいちばん好みだったように感じました。酒を飲みつつ舞い遊ぶ感じがかなり繊細に表現されていたと思います。
舞囃子「昭君」観世銕之丞
うん、これは怖いな、と思わせる銕之丞さんの雰囲気・表情(笑)。でもそれ以上に全体の安定感と動きの力強さに見惚れました。
一調「張良」宝生閑・上田悟(太鼓):ワキ方の一調って大好きです。迫力あって、閑さん、すんげえかっこよかった! 渋いよ。
能「邯鄲」
シテ:長山桂三 子方:田代祐樹
ワキ:宝生欣哉 ワキツレ:舘田善博・大日方 寛(他3名)
アイ:小笠原匡
笛:松田弘之 小鼓:大倉源次郎 大鼓:亀井忠雄 太鼓:助川 治
このシテの舞台は、見るたびに違う側面を見せられてとても楽しい。
「邯鄲」は私の好きな曲のひとつですが、その印象は観世清和さんの舞台からきていて、私の中でこれを超える良さには会えずにきました。
同様に「融」という曲も清和氏の舞台が良すぎて(それはそのとき使用していた能舞台そのものの良さもあった)この印象におおかた支配されていたのですが、前回の桂諷會で清和融とは違う良さを見せられてたいへんうれしい思いをしました。(その舞台の感想を書きそびれていて残念です)
そんなわけもあって、とても楽しみにしていた一曲です。
曲自体、見所満載でおもしろいのですが、今回いちばん感じたのは能面の良さでした。
「邯鄲男」という面かなと思うのですが詳細は不明。一見、冴えないな~という印象を受けたのですが、これが終盤、一畳台の上で舞い始めたら顔つきが変わりました。
台上なので少し私の位置から見る角度が変わったためだと思いますが、とても堂々として、かつ、その美しげな流し目は何ですか!? と言いたくなるような男っぷり(笑)。こういうのに弱いんですよね、私(^_^;)。
舞そのものはいつもながらの丁寧さで、台上の狭い範囲での大きな動きをそつなくこなした感じ。台下に足を落とす動き(「空下り(そらおり)」)の少し前で、作リモノの柱をやや確認するような手の動きになったのが気になりましたが、踏み下ろしの動作は勢いも姿勢も良く、その後の片足立ちも安定していて綺麗でした。これが決まると見ているほうはほっとしますよね。
また、夢の終わりに一畳台へ飛び込むところもバッチリ。よっしゃ、と思った私でした(笑)。
夢から覚めて、放心している体がまた印象的。ここでは面の表情も再びおとなしげになり、人生への達観を得たのかそれとも理不尽と対決しているところなのかと、シテを見つめながらこちらも考えるところがありました。
それから、この曲の中では子方(舞童)の舞も楽しみのひとつ。
今回の祐樹君はとても私の好みでしたv 要チェックですわ(笑)。
お囃子はベテラン勢で安心して聞いていられました。松田さんは時々、最初のひと吹きがいまひとつ、と思ったりもするのですが、今回はOK。源次郎さんの手と声にどきどきするのは能の楽しみ方としてどうなのか…と思うものの、やはり今回もときめきました(笑)。
全体的に大満足の公演。
ついつい、来月の銕仙会での桂三さんシテ舞台チケットを申し込んでしまいました(^_^;)。忙しいはずなのに~。
ま、楽しみが増えたんだからいいか♪




【追記】
桂三さんよりメッセージ来た~♪ わ~い、ありがとうございますv
・今回使用致しました面は「邯鄲男」でございます。邯鄲で使用する面は、その他、「若男」という面の場合もございます。 今回の邯鄲男は、古面で「近江」という作者の物です。
・夢から覚める瞬間の寝台への飛び込みは、無我夢中で全くといっていい程記憶が無い状態でございました。(道成寺の鐘入りと似ています)
とのことでした。そうか「若男」を使うこともあるのね。メモメモ。

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